従如

従如(從如[1]

享保5年6月17日 - 宝暦10年7月11日
1720年7月22日 - 1760年8月21日
上段・旧暦(生年貞享暦・没年宝暦暦

下段・グレゴリオ暦
幼名 季麿
法名 從如
愚川
院号 淸淨光院
光超
尊称 従如上人
宗旨 浄土真宗
宗派 (後の真宗大谷派
大谷祖廟
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従如(じゅうにょ、從如[1])は、江戸時代中期の浄土真宗東本願寺第十八代法主[2]東本願寺第十六代 一如の孫。

生涯[編集]

本ページでは、年齢は、数え年。日付は、の正確性、著作との整合を保つため、宝暦4年12月30日1755年2月10日[3])までは、貞享暦表示。 宝暦5年1月1日1755年2月11日)からは、宝暦暦表示とする(生歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。

脚注[編集]

  1. ^ a b 從如…新字体が用いられる以前の文献に用いられた旧字体。
  2. ^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第十八代法主」と表記。
  3. ^ 宝暦4年12月30日は、グレゴリオ暦では年が明けて、1755年2月10日。
  4. ^ 『日本仏家人名辞書』(光融館、1903年)357頁
  5. ^ 法嗣とは、法主後継者のこと。