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待賢門
待賢門(たいけんもん)は、平安京大内裏の外郭十二門のひとつである。左衛門府が警固を担当した。
大内裏の東面、郁芳門の北、陽明門の南。大宮大路に面し、中御門大路に向かう。大きさは5間、戸3間だった。
延暦13年(794年)、宮城経営のとき播磨国が造営し、建部氏がこれを監したことがその名称の由来(たけるべ → たいけん)。当初は「建部門」といった。東面の中央にあるため中御門とも呼ばれた。弘仁9年(818年)、額を改め、嵯峨天皇の筆額を掲げた。
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