弥栄神社 (長野市)

弥栄神社
弥栄神社本殿覆屋
所在地 長野県長野市上西之門町612-イ
位置 北緯36度39分35秒 東経138度11分12秒 / 北緯36.65972度 東経138.18667度 / 36.65972; 138.18667 (弥栄神社 (長野市))座標: 北緯36度39分35秒 東経138度11分12秒 / 北緯36.65972度 東経138.18667度 / 36.65972; 138.18667 (弥栄神社 (長野市))
主祭神 須佐之男命
社格無格社
創建 1196年建久7年)
例祭 7月7日7月14日
地図
弥栄神社の位置(長野市内)
弥栄神社
弥栄神社
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弥栄神社(やさかじんじゃ)は、長野県長野市上西之門町にある神社

概要[編集]

善光寺山門の南西、仲見世通りの2本西側の西之門通りに面して鎮座する。普段は観光客の喧騒からも離れた小さな神社だが、古くは日本三大祇園祭にも数えられた「ながの祇園祭(弥栄神社御祭礼)」の舞台である。

創建は一説に1196年建久7年)、源頼朝信濃国を視察した際に、疫病除けのため京都八坂神社を勧請したという[1]。社地は1774年安永3年)に善光寺大勧進住職から寄進されたもので、善光寺との関わりは今でも深い[2]

歴史[編集]

境内[編集]

境内の様子
  • 本殿 - 1847年弘化4年)以前の建築と見られる覆屋(切妻造瓦葺き漆喰壁)に覆われている。
  • 仮拝殿 - 1947年昭和22年)ごろに建てられたもので、御祭礼中のみ本殿の前に組み立てられる。期間外は湯福神社に解体保管されている。
  • 天神社

御祭礼(ながの祇園祭)[編集]

当神社の祭礼(弥栄神社御祭礼)は、京都の祇園祭と同様に屋台巡行が最大の行事になっている。この屋台巡行は、戦前には京都(八坂神社)、広島厳島神社)に並ぶ「日本三大祇園祭」と呼ばれた大祭であったが、経済面や人手不足を原因として徐々に衰退[2]松代群発地震の影響で1965年昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて開催自粛したのをきっかけに、7年に一度の善光寺御開帳の年のみの開催となってしまった[2]

その後、長野の夏のビッグイベントは、1971年(昭和46年)から始まった長野びんずる[3]に取って代わられることとなる[4]。しかし、かつて隆盛を極めたこの御祭礼の価値も見直され、2012年平成24年)から「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し[2]、現在では毎年屋台巡行が行われるようになっている。

当神社は前述の通り善光寺との関係も深く、江戸時代には善光寺大勧進の指揮のもとで御祭礼が行われ、善光寺御祭礼とも呼ばれていた[2]。現在でも、祭の最初と最後の神事には善光寺の僧侶が参列している[2]

現在の様子[編集]

祭の流れ[2][5]
  • 7月初頭 - 仮拝殿を本殿前に組み立て。
  • 天王下ろし祭7月7日
    • 宮司、その年の屋台巡行で御先乗りを務める少年、善光寺関係者、地元関係者が参列して、仮拝殿にて神事が行われる。
    • かつて参拝者が初生りのきゅうりを奉納した習わしから、参列者・参拝者には御札ときゅうりが配られる。
  • 宵山宵宮(期間中の土曜日
    • 屋台巡行の前夜祭である。
    • 宵山は、北石堂町ながの東急百貨店第一駐車場で開かれる。北石堂町・南石堂町屋台が置かれ、様々な演目が披露される。このほか、各種振る舞いや飲食店の出張販売もある。
    • 宵宮は、権堂町秋葉神社境内で開かれる。権堂町の屋台が置かれ、同町の勢獅子(きおいじし)とともに様々な演目が披露される。
    • 元善町宵山は、善光寺駒返橋前で開かれる。元善町の屋台が置かれ、前述の縁起物のきゅうりが振る舞われる。
  • 屋台巡行(期間中の日曜日[6]
    • 善光寺町の屋台巡行加盟20町が、それぞれの屋台を引く。2017年(平成29年)度は、このうち4町が巡行し、2町が置き屋台として参加した。
    • 年番の町から選ばれた少年が「御先乗り」として、馬に跨り弥栄神社からもんぜんぷら座前(新田町)に向かう。各町を出発した屋台も、それぞれもんぜんぷら座前に集まる。
    • 午前10時、ここで御先乗りの少年が注連縄を太刀で切り落とす(注連縄切り綱切り式)と、屋台巡行の開始となる。
    • 御先乗りを先頭に各町屋台とも中央通り(善光寺表参道)を北上。大門町善光寺大本願前などで踊りを披露しながら善光寺山門に向かう。
    • 昼頃、善光寺山門前で舞を奉納(山門答礼)した後、東之門町寛慶寺前・善光寺大勧進前・弥栄神社前でも舞を奉納する。
    • その後、午後は各町分かれて長野市街地をくまなく回り、17時頃にそれぞれの町に戻る。
  • 天王上げ祭7月14日
    • 天王下ろし祭同様に神事が行われ、開かれていた本殿の扉が閉じられる。
  • 7月下旬 - 仮拝殿を解体。
参加町・屋台の一覧[2]
町名 種類 制作年 特徴 保存状況 直近の屋台巡行参加[7]
大門町 1. 踊り屋台
2. 底抜け
3. 本屋台
1. 1914年大正3年)
2. 不明
3. 1859年安政6年)
1-2. 白木造
3. 山崎儀作(妻科)作
解体保存 2014年平成26年)巡行
元善町 1. 踊り屋台
2. 底抜け
3. 本屋台
1. 1919年(大正8年)
2. 不明
3. 江戸末期〜明治初期
3. 伊勢町から譲受 解体保存 2017年(平成29年)巡行
横沢町 傘鉾 1873年明治6年) 長野市立博物館展示 2017年(平成29年)展示
西之門町 1. 本屋台
2. 底抜け
1. 1893年(明治26年)
2. 不明
解体保存
桜枝町 本屋台 1895年(明治28年) 山崎儀作(妻科)作。ケヤキ造、人形は神武天皇、天井に龍の彫刻 解体保存 2016年(平成28年)巡行
栄町 本屋台 1903年(明治36年) 白木造(一部金漆塗り) 解体保存  
西町 本屋台 1793年寛政5年) 総黒漆塗り、ケヤキ・ヒノキ材(長野市指定文化財) 長野市立博物館展示
東之門町 二階建て 大正末期   解体保存  
伊勢町 1. 踊り屋台
2. 底抜け
不明 解体保存
岩石町 1. 踊り屋台
2. 底抜け
不明   解体保存  
東町 本屋台 1872年(明治5年) 山崎儀作(妻科)作 組立保存 2017年(平成29年)置き屋台
西後町 本屋台 1872年(明治5年) 山崎儀作(妻科)作。総ケヤキ造 解体保存 2015年(平成27年)巡行
東後町 踊り屋台 1918年(大正7年)   解体保存  
権堂町 二階建て 1913年(大正2年) 和田三郎次(田町)作。上段が踊り屋台、下段が囃子方 解体保存 2017年(平成29年)巡行
問御所町 本屋台 1872年(明治5年) 山崎儀作(妻科)作。総漆塗り、天井に金箔塗りの大鳳凰 解体保存 2014年(平成26年)巡行
上千歳町 踊り屋台 昭和初期   解体保存 2013年(平成25年)巡行
緑町 本屋台 明治初期か 北村喜代松一門作 組立保存 2015年(平成27年)巡行
新田町 1. 踊り屋台
2. 底抜け
1. 1924年(大正13年)
2. 不明
1. 白木造、元は囃子方の屋台と一対で運行 解体保存 2015年(平成27年)置き屋台
北石堂町 本屋台 1936年(昭和11年) 唯一の二輪屋台。1964年(昭和39年)正面柱右に昇龍、左に降龍の彫物を足す。 解体保存 2017年(平成29年)置き屋台
南石堂町 踊り屋台 1937年(昭和12年) 釘を使用していない。 解体保存 2017年(平成29年)巡行
南千歳町 踊り屋台 1930年(昭和5年) 白木造 解体保存 2016年(平成28年)巡行
各町における屋台保存の例―東町屋台蔵(東町)

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 小林計一郎『長野御祭礼史』長野御祭礼研究会、1971年。 
  2. ^ a b c d e f g h 長野市歴史的風致維持向上計画 - 長野市
  3. ^ この祭自体、弥栄神社御祭礼の前夜祭である「広告祭」のパレード(1959年(昭和34年)〜1966年(昭和41年))を前身としている。
  4. ^ 長野びんずる誕生秘話 - 第47回長野びんずる実行委員会
  5. ^ 屋台巡行とは - ながの祇園祭屋台運行実行委員会
  6. ^ 本来は天王上げ祭の前日であるが、2012年平成24年)の復活以降は日曜日にあわせて行われている。
  7. ^ 2017年(平成29年)現在

外部リンク[編集]