平田三位 平田三位(ひらた さんみ、生没年不詳)は戦国時代の兵法家。尾張国の人。法名は祐秀という。 生涯[編集] 平田三位については、その来歴については必ずしも明確でないところが多い。 『信長公記』によると、織田信長が16歳から18歳にかけて、弓を市川大介、鉄砲を橋本一巴、兵法を平田三位を学び、信長は絶えず、平田らの師を側近くに招いて教えを請うたという。後に平田は十輪山密巖寺の住職となり祐秀和尚と名乗るという[1]。 脚注[編集] ^ 太田牛一著『信長公記』(甫喜山景雄、1881年)4頁、 巻首 「上総介殿形儀の事」及び同17頁巻首「天沢長老物かなりの事」などを参照のこと。 参照文献[編集] 太田牛一著『信長公記』(甫喜山景雄、1881年) 関連項目[編集] 織田信長 信長公記