川津祐介

かわづ ゆうすけ
川津 祐介
本名 川頭かわず 祐一ゆういち
生年月日 (1935-05-12) 1935年5月12日
没年月日 (2022-02-26) 2022年2月26日(86歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
(現・東京都新宿区
死没地 日本の旗 日本東京都
ジャンル 俳優
活動期間 1958年 - 2022年
活動内容
  • 映画
  • テレビドラマ
  • 舞台
  • 情報番組
配偶者 あり
著名な家族
主な作品
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川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 2022年2月26日)は、日本俳優東京都新宿区出身。

来歴[編集]

1935年(昭和10年)5月12日(日曜日)、東京府東京市四谷区新宿(現在の東京都新宿区新宿)に生まれる。

慶應義塾高等学校[1]から慶應義塾大学医学部[2][注釈 1]在学中の1958年(昭和33年)、映画監督である兄・川頭義郎が縁となり木下惠介の勧めもあって同年の『この天の虹』(松竹)でスクリーンデビュー[4]

人間の條件』の「第3部・第4部」(1959年)と「第5部・第6部」(1961年)に寺田二等兵役で出演。

松竹時代は青春スターとして人気を誇る。退社後はフリーとなり、松竹時代の青春路線とは異なる敵役や癖のある準主役などさまざまな役柄を演じた。

1965年(昭和40年)からはテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』の荒木隊員や『スパイキャッチャーJ3』の壇俊介などでアクションスターとして人気を集める。

Gメン'75』のバイクアクションシーンで、簡単なスタントであったにもかかわらず過度のダイエットがたたり大ケガを負ってしまい、長期入院で番組を降板し仕事が途絶えてしまうという苦境に立たされた。しかし、食品会社のコマーシャルに家族全員で出演することによってピンチを脱することができたと、後年の自著『こんなにヤセていいかしら』で述懐している。

1976年(昭和51年)、神奈川県藤沢市志澤藤沢店(1978年から藤沢西武)に「珈琲&ワインの店 ララの巣」を開業し、レストランオーナーとして活動。その後、茨城県土浦市東京都練馬区にも支店を構えるが、経営不振によりすべて閉店した。

1988年(昭和63年)にはダイエット本である著書『こんなにヤセていいかしら』がベストセラーになり、同書の中核である「骨盤体操」を世に流行らせた。キチンキトサンのもつ毒素吸着効果に着目し、廃棄物処理されていたエビ・カニの殻を安定仕入れするための独自ルートを構築する。殻から抽出したスープ類を提供していた。

1995年(平成7年)、心臓左心室壊死という病気にかかり、20数年間司会を務めた早朝の科学番組『てれび博物館』(東海テレビ)において、手術のために降板することを自身の口から視聴者に告げる。医師からは余命3週間、長くて3か月と診断されていたが奇跡的に手術が成功して復帰した。この手術の一部始終は『てれび博物館』で放送された。

2009年(平成21年)4月から京都造形芸術大学芸術学部映画学科客員教授に就任(任期は1年)。

2014年(平成26年)4月、長田紀生監督作品『ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン』が日本初公開された。川津の主演作品であったが、諸般の事情からお蔵入りになっており、1975年にベトナム戦争下で撮影されて以来、満39年後の初公開となった。

2021年9月頃に体調を崩し、以降は介護を受けながら自宅療養を続けてきたが、2022年2月26日8時13分、慢性心不全のため東京都内の自宅で死去した[5][6]。86歳没。訃報は3月4日にメディアで明らかになった[7]

人物・エピソード[編集]

娘の川津花川津春は元女優。趣味は陶芸油絵料理など。

映画『ゴジラvsメカゴジラ』で監督を務めた大河原孝夫は、川津についてベテランとして全体を見ており、撮影が終わるとステージに一礼してから帰るなど、見習う点が多かったと述べている[8]。同作品でヒロインを務めた佐野量子は、NGが続いた際に川津からリラックス法を教えてもらったといい[9]ベビーゴジラスーツアクターを務めた破李拳竜も見やすい位置を尋ねられたり、歩き始めのタイミングを教えてくれるなど川津から気を遣ってもらったことを証言している[10]

主な出演[編集]

映画[編集]

惜春鳥』(1959年)
青春残酷物語』(1960年)
人間の條件 第5部・第6部 完結篇』(1961年)

オリジナルビデオ[編集]

  • 優しくこたえて TOUCH ME TENDERLY(1992年)

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

ドラマ以外のテレビ番組[編集]

※各局旅番組にも出演

CM[編集]

  • エーザイ「ザーネ・クリーム」(1979年)※子供たちと共演
  • ハウス食品工業「印度カレー」「バーガーヘルパー」(1979年)※いずれも子供たちと共演
  • サントリー「ウイスキーソーダ」(1989年)※『ザ・ガードマン』の共演者たちと共演

吹き替え[編集]

著書[編集]

  • 『わが子に語る星と宇宙の話』(日本実業出版社、1983年)
  • 『ジョリ・フリュイ-フルーツの本-』(いずみ出版、1984年)
  • 『超能力健康法』〈超能力入門シリーズ〉(現代出版、1985年)
  • 『18歳、女優をめざす娘に』(文化出版局、1987年)
  • 『うちゅうとこころがひびきあうとき』(金の星社、1988年)
  • 『こんなにヤセていいかしら-不思議な面白減量法 1回30秒だけで1日1キロ落ちる-』(青春出版社〈プレイブックス〉(P-471)、1988年)
  • 『わが子に語る星と宇宙の話(改訂・増補)』(日本実業出版社、1990年)
  • 『天使よはばたけ-いじめになんかまけるな-』(国土社、1996年)
  • 『三回死んでわかったこと』(小学館小学館文庫〉、2005年)
  • 『神様ありがとう。今日も元気!』(三宝出版、2008年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ その後文転経済学部を卒業[3]
  2. ^ デビュー作品。

出典[編集]

  1. ^ 鈴木隆祐『名門高校 青春グルメ』辰巳出版、2018年、108頁。ISBN 978-4-7778-2009-2 
  2. ^ 猪俣勝人田山力哉『日本映画俳優全史』 女優編、社会思想社現代教養文庫〉、1977年、374頁。全国書誌番号:77027610 
  3. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.539
  4. ^ 川津祐介さん死去 86歳 「ザ・ガードマン」「くいしん坊!万才」出演の元祖マルチタレント」『スポーツ報知』、2022年3月4日。2023年5月3日閲覧。
  5. ^ 川津祐介さん死去を妻愛沙さんが公表「自宅療養を続ける中、家族に見守られ…」」『日刊スポーツ』、2022年3月4日。2022年9月1日閲覧。
  6. ^ 俳優の川津祐介さん死去 86歳 「ザ・ガードマン」」『毎日新聞』、2022年3月4日。2022年3月4日閲覧。
  7. ^ 川津祐介さん死去 86歳 「ザ・ガードマン」「くいしん坊!万才」出演の元祖マルチタレント」『スポーツ報知』、2022年3月4日。2022年9月1日閲覧。
  8. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, pp. 56–63, 「インタビュー 大河原孝夫」
  9. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, p. 154, 「インタビュー 佐野量子」
  10. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, p. 126, 「MONSTER MAKERS 破李拳竜」
  11. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 537, 「主要特撮作品配役リスト」
  12. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 237, 「『ゴジラVSメカゴジラ』作品解説/俳優名鑑」

参考文献[編集]

外部リンク[編集]