島田啓三

1953年

島田 啓三(しまだ けいぞう、本名・島田 啓蔵、1900年(明治33年)5月3日 - 1973年(昭和48年)2月11日)は、日本漫画家東京都出身。東京児童漫画会会長を務める。

来歴[編集]

川端画学校卒業後、北澤楽天に師事し政治漫画を描いていたが、1931年に東京朝日新聞に連載した『コロコロボール』から児童漫画を執筆するようになる。1933年、「少年倶楽部」(大日本雄弁会講談社)誌上で『冒険ダン吉』を連載、田河水泡の『のらくろ』と並ぶ人気を得た。1950年、東京児童漫画会を設立し自ら会長に就任。1973年死去。

人物[編集]

  • 弟子につのだじろうがいる。高校生だったつのだは島田が所属している草野球チームの試合に押しかけ、強引に弟子にしてもらったという。島田に「4コマこそが漫画の基礎である」との指導を受け、4コマ漫画をひたすら描く練習をした。
  • 手塚治虫の回想によると、手塚が島田のもとを訪れて自作の『新宝島』を見せ評価を求めたところ、「こりゃ、漫画の邪道だよ。こんな漫画がはやるようになれば大変なことになる」と評したという。
  • 島田の次女は漫画家の太田じろうと結婚した。

作品[編集]

関連項目[編集]