島添大里城

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大里城
沖縄県
指定文化財 国の指定史跡
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島添大里城(しましーうふざとぐすく)、史跡名:島添大里城跡(しましーおおざとじょうせき)は、現在の沖縄県南部にあった城(グスク)である。別名を大里城。

2005年まで存した自治体の大里村(現南城市)の村名は、このグスクの名に因む。現在は廃墟となっているが、2012年1月に国の史跡に指定されている[1][2]

歴史[編集]

島尻地域の東半分を支配下においた島添大里按司[3]の居城であったが、佐敷グスクにあった尚巴志によって1402年[4]に落城し、以後は第一尚氏の勢力圏に入った。尚氏時代は離宮として少なくとも15世紀中ごろまで使用されていた。首里城と並ぶ壮麗な宮殿であったという。1683年には清の冊封使が廃城した大里城を訪れている。南山王国国王の居城[5]とされるグスクの一つ。他に南山城島尻大里城)説があり[6]、見解が分かれている。[7]

沖縄戦では城内に陣地が置かれて建築資材に城壁が転用され、米軍の攻撃も相まって、大きな被害を受けた。戦後も復興資材に使われた結果、大半の遺跡は消失した。1961年に米軍の資材供与を受け公園事業として展望台やコンクリート道が整備され、その後私設のグスク公園(のち営業終了して大里村の公園になる)が建設され、島尻地域唯一のレクリエーション施設として賑わったが、城跡は一部改変された。平成2年度から発掘調査が始まり、戦後の公園事業の構造物を撤去しながら整備が進んだ[3]。2012年1月には国の指定史跡となった[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b Tokumori, Lima, and Mark Ealey. "Cultural Affairs Council Recommends Two Okinawan Sites to Minister of MEXT." Ryukyu Shimpo [Naha] 19 Nov. 2011: n. pag. Ryukyu Shimpo. Web. 13 Jan. 2014.
  2. ^ a b 南城なび. “島添大里城跡”. 2014年1月14日閲覧。
  3. ^ a b - (PDF)沖縄県南城市教育委員会 「島添大里城跡保存管理計画書」2014年
  4. ^ 『沖縄県大百科事典』第3巻、84頁
  5. ^ 中山世鑑』の記述に基づく。島添大里按司を大里按司(南山国王)と同一視する。この説の場合、1402年の落城後の動向も諸説紛糾している(南山王国滅亡説・首府移動説・尚氏乗っ取り説など)。(『日本城郭大系』第2巻、305頁)
  6. ^ 中山世譜』(蔡温本)が始めに主張。かつては蔡温本の島尻大里城が居城説が通説であったが、1970年代以降異論が出た(『沖縄県大百科事典』第3巻、84頁)。三山統一前後の見解は定まっていない。(梅木哲人『新琉球国の歴史』2013年、25頁)
  7. ^ 日本城郭大系』第2巻、新人物往来社、1980年、305頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯26度11分11.76秒 東経127度45分36.51秒 / 北緯26.1866000度 東経127.7601417度 / 26.1866000; 127.7601417