海域東南アジア

フィリピンの無人島。海域東南アジアは、インド洋、南シナ海、西太平洋の間に位置する世界最大の2つの群島で構成されている。

海域東南アジア(かいいきとうなんアジア、: Maritime Southeast Asia)は、東南アジアの一部で、東南アジア本土(: Mainland Southeast Asia)の対となる概念。現在のブルネイインドネシアマレーシアフィリピンシンガポール東ティモールといった国々で構成される[1]。海域東南アジアは、群島部東南アジア島嶼部東南アジアまたは東南アジア島嶼部などとも呼ばれる[2]。16世紀の用語「東インド諸島」および19世紀後半の用語「マレー諸島」は、海域東南アジアを指す場合にも使用される。

インドネシアとマレーシアでは、古代ジャワ語の「ヌサンタラ」が海域東南アジアの同義語としても使用されている。ただし、この用語は民族主義的であり、範囲が若干異なる。こちらは通常、マレー半島スンダ列島モルッカ諸島、そしてしばしば西ニューギニアを包含するだけで、フィリピンパプアニューギニアは除かれる[3] [4]

数千キロメートルに及ぶこの地域には、非常に多数の島があり、地球上で最も豊かな海洋として動植物の生物多様性に恵まれている。

海域東南アジアを現代の本土の東南アジアと区別する主な人口統計上の違いは、その人口が主にオーストロネシア人グループに属していることである。この地域には、世界で最も高度に都市化された地域がいくつもある。ジャカルタ都市圏、マニラ首都圏クアラルンプール都市圏シンガポールなど。しかし、この広大な地域の島々の大半は無人島である。

地理[編集]

東南アジア海域の陸海面積は200万平方キロメートルを超える[5]。25,000以上の島が存在し、それらは多くの小さな群島に属している[6]

主なグループは次のとおり。

面積の上位7位までの島は、インドネシアのニューギニア島ボルネオ島スマトラ島スラウェシ島ジャワ島。フィリピンのルソン島ミンダナオ島

生物地理学におけるマレシア植物区系区は海域東南アジアに対応している

自然科学では、この地域は「海洋大陸」として知られている。また、生物地理学植物相ではマレシア植物区系区に対応している[7]

地質学的には、群島は世界で最も活発な火山地帯の1つであり、特にジャワ島、スマトラ島、小スンダ列島地域に、標高3,000メートルを超えるほとんどの火山が位置している。また、プレートテクトニクスによる造山運動によって、マレーシアの最高峰である標高 4,095.2メートルのサバ州キナバル山や、ニューギニア島の最高峰である標高4,884メートルのプンチャック・ジャヤのような高山が生み出されてきた。

群島の他の高山には、インドネシアの4,760メートルのプンチャック・マンダラや4,750メートルのプンチャック・トリコラなどがある。

群島の気候は、ほぼ全域が赤道付近にあるため熱帯気候である。

文化と人口統計[編集]

2017年現在、この地域には5億4千万人以上の人々が住んでおり、最も人口の多い島はジャワ島。そこに住む人々は主にオーストロネシア系の民族で西マレー・ポリネシア語を話す。東南アジアのこの地域は、東南アジア本土の人々と太平洋の他のオーストロネシアの人々の両方と社会的および文化的なつながりを有している。イスラム教が主な宗教であり、フィリピンと東ティモールではキリスト教が主である。仏教ヒンドゥー教、伝統的なアニミズムも多くの信者がいる。

歴史的には、「島嶼東南アジア」とされるこの地域はセデスの「Indianized States of Southeast Asia[8]に見られるように大インドの一部と見なされてきた[9]オーストロネシアまたはオセアニアと共通する民族言語と歴史的起源を有しているのは、この地域から、後者のグループ(ミクロネシアとポリネシアのグループ)が発祥してそれらの地域に拡散していったことに起因する[10]

歴史 [編集]

歴史家は東南アジア地域の海のつながりを強調しており、それにより地中海沿岸と同様に単一の文化的および経済的単位として分析することができる[11]。この地域は、中国の長江デルタから南シナ海タイ湾ジャワ海を含むマレー半島まで広がっている。この地域はオーストロネシア人海洋国家的な文化に支配されていた[12][13][14]

古代インド洋貿易[編集]

インド洋におけるオーストロネシア人先史時代および有史時代の海上貿易ネットワーク[12]

インド洋で最初の海上貿易網は、海域東南アジアから来たオーストロネシア人によるものだった[12]。彼らが、最初の外航船を建造した[15]

彼らは早くも紀元前1500年に南インドおよびスリランカとの交易路を確立し、物質文化(カタマランアウトリガーカヌーラッシュラグ英語版縫合船キンマなど)と栽培植物ココヤシ白檀バナナサトウキビなど)を広めた。

インドと中国の物質文化をつなぐだけでなく、特にインドネシア人は、カタマランとアウトリガーボートを使用してスパイス(主にシナモンカッシア)を取引し、インド洋の偏西風の助けを借りて遠く東アフリカまでも航海していた。この貿易ネットワークはアフリカとアラビア半島にまで拡大し、その結果、紀元前1千年紀の前半までにマダガスカルはオーストロネシア人の住む土地となった。それは有史時代まで続いた[12] [16] [14] [17] [18]

海のシルクロード[編集]

古代のオーストロネシア人の貿易ネットワークは、後に中国のの貿易艦隊によって西暦900年頃から使用された。これは、海のシルクロードとして知られている中国と東南アジアの間の貿易の新たな繁栄につながった。東南アジアの製品と貿易の需要は、この時代の中国の人口が7500万から1億5000万に倍増したことで拡大した[19]

宋王朝の崩壊後、侵略と飢饉により中国との貿易は停止した。14世紀から16世紀の明王朝の時代に復活した[20]。1405年から1431年までの鄭和の遠征航海は、東南アジアとの貿易を増やすために重要な役割を果たした[21]

中国の貿易は宮廷によって厳格に管理されていたが、閩南民の拡散は東南アジアとの非公式な貿易と文化的交流を促進し、この期間中に東南アジアの各地に定着していった。中国政府の公認を受けていないにもかかわらず、これらのコミュニティはマラッカホイアンアユタヤなどの都市間でのビジネスと貿易のネットワークを形成していた[22] [23]。これらの中華系の人間は、移住先の各地の政府で役人や外交官にもなった[24]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Tarling, Nicholas (1999). The Cambridge history of Southeast Asia, Volume 1, Part 1 (2nd ed.). Cambridge University Press. p. 304. ISBN 978-0-521-66369-4. https://books.google.com/books?id=SNn0YmDMiUgC&pg=PA304&dq=Maritime+Southeast+Asia#v=onepage&q=Maritime%20Southeast%20Asia&f=false 
  2. ^ 生田 滋『海域東南アジア史研究の回顧と展望』 63巻、3号、東洋史研究会〈東洋史研究 63(3), 552-563,〉、2004年12月、552頁https://ci.nii.ac.jp/naid/120002871188 
  3. ^ Evers, Hans-Dieter (2016). “Nusantara: History of a Concept”. Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society 89 (1): 3–14. doi:10.1353/ras.2016.0004. 
  4. ^ Gaynor, Jennifer L. (2007). “Maritime Ideologies and Ethnic Anomalies”. In Bentley, Jerry H.; Bridenthal, Renate; Wigen, Kären. Seascapes: Maritime Histories, Littoral Cultures, and Transoceanic Exchanges. University of Hawaii Press. pp. 59–65. ISBN 9780824830274 
  5. ^ Moores, Eldridge M.; Fairbridge, Rhodes Whitmore (1997). Encyclopedia of European and Asian regional geology. Springer. p. 377. ISBN 0-412-74040-0. https://books.google.com/?id=aYRup5mRcGsC&pg=PA377&dq=%22malay+archipelago%22+2+million+km%C2%B2#v=onepage&q= 2009年11月30日閲覧。  [要検証]
  6. ^ Philippines : General Information. Government of the Philippines. Retrieved 2009-11-06; "World Economic Outlook Database" (Press release). International Monetary Fund. April 2006. 2006年10月5日閲覧; Indonesia Regions” (英語). Indonesia Business Directory. 2007年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月16日閲覧。
  7. ^ 動物相については、域内にウォレス線が通っており、東洋区オーストラリア区に分かれている。
  8. ^ セデスの著作、Les états hindouisés d'Indochine et d'Indonésie, Paris, E. de Boccard, 1948の1964年版を翻訳した英語書籍。The Indianized states of Southeast Asia (ACLS HEB)
  9. ^ Coedes, G. (1968) The Indianized States of Southeast Asia Edited by Walter F. Vella. Translated by Susan Brown Cowing. Canberra: Australian National University Press. Introduction... The geographic area here called Farther India consists of Indonesia, or island Southeast Asia....
  10. ^ See the cultural macroregions of the world table below.
  11. ^ Sutherland, Heather (2003). “Southeast Asian History and the Mediterranean Analogy”. Journal of Southeast Asian Studies 34 (1): 1–20. doi:10.1017/S0022463403000018. JSTOR 20072472. https://research.vu.nl/ws/files/1903744/157026.pdf. 
  12. ^ a b c d Manguin, Pierre-Yves (2016). “Austronesian Shipping in the Indian Ocean: From Outrigger Boats to Trading Ships”. In Campbell, Gwyn. Early Exchange between Africa and the Wider Indian Ocean World. Palgrave Macmillan. pp. 51–76. ISBN 9783319338224. https://books.google.com.ph/books?id=XsvDDQAAQBAJ&lpg=PP1&pg=PA50#v=onepage&q&f=false 
  13. ^ Brides of the sea : port cities of Asia from the 16th-20th centuries. Broeze, Frank.. Honolulu: University of Hawaii Press. (1989). ISBN 978-0824812669. OCLC 19554419 
  14. ^ a b Mahdi, Waruno (1999). “The Dispersal of Austronesian boat forms in the Indian Ocean”. In Blench, Roger. Archaeology and Language III: Artefacts languages, and texts. One World Archaeology. 34. Routledge. pp. 144–179. ISBN 0415100542 
  15. ^ Meacham, Steve (2008年12月11日). “Austronesians were first to sail the seas”. The Sydney Morning Herald. https://www.smh.com.au/entertainment/austronesians-were-first-to-sail-the-seas-20081211-gdt65p.html 2019年4月28日閲覧。 
  16. ^ Doran, Edwin, Jr. (1974). “Outrigger Ages”. The Journal of the Polynesian Society 83 (2): 130–140. http://www.jps.auckland.ac.nz/document//Volume_83_1974/Volume_83%2C_No._2/Outrigger_ages%2C_by_Edwin_Doran_Jnr.%2C_p_130-140/p1. 
  17. ^ Doran, Edwin B. (1981). Wangka: Austronesian Canoe Origins. Texas A&M University Press. ISBN 9780890961070 
  18. ^ Blench, Roger (2004). “Fruits and arboriculture in the Indo-Pacific region”. Bulletin of the Indo-Pacific Prehistory Association 24 (The Taipei Papers (Volume 2)): 31–50. https://journals.lib.washington.edu/index.php/BIPPA/article/viewFile/11869/10496. 
  19. ^ 1945-, Lieberman, Victor B. (2003-2009). Strange parallels : Southeast Asia in global context, c 800-1830. New York: Cambridge University Press. ISBN 978-0521800860. OCLC 49820972 
  20. ^ Sen, Tansen (2006). “The Formation of Chinese Maritime Networks to Southern Asia, 1200-1450”. Journal of the Economic and Social History of the Orient 49 (4): 421–453. doi:10.1163/156852006779048372. JSTOR 25165168. 
  21. ^ 1939-, Reid, Anthony (1988-1993). Southeast Asia in the age of commerce, 1450-1680. Rogers D. Spotswood Collection.. New Haven: Yale University Press. ISBN 978-0300039214. OCLC 16646158 
  22. ^ YOKKAICHI, Yasuhiro. “Chinese and Muslim Diasporas and Indian Ocean Trade under the Mongol Hegemony” (英語). Angela Schottenhammer[ed.] the East Asian Mediterranean : Maritime Crossroads of Culture, Commerce, and Human Migration. Wiesbaden: Otto Harrassowitz. https://www.academia.edu/3648289. 
  23. ^ Lockard, Craig A. (2010-08-01). “"The Sea Common to All": Maritime Frontiers, Port Cities, and Chinese Traders in the Southeast Asian Age of Commerce, ca. 1400–1750” (英語). Journal of World History 21 (2): 219–247. doi:10.1353/jwh.0.0127. ISSN 1527-8050. 
  24. ^ Sojourners and settlers : histories of Southeast Asia and the Chinese. Reid, Anthony, 1939-, Alilunas-Rodgers, Kristine.. Honolulu: University of Hawai'i Press. (2001). ISBN 978-0824824464. OCLC 45791365 

外部リンク[編集]