岩城重隆 (亀田藩主)

 
岩城 重隆
岩城町史料館所蔵
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永5年1月17日1628年2月21日[1]
死没 宝永4年12月11日1708年1月3日
改名 重隆、月峯(号)
別名 庄次郎、左京[2]
戒名 大通院雄山月峯[1]
墓所 東京都板橋区小豆沢の総泉寺[1]
官位 従五位下伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
出羽国亀田藩藩主
氏族 平氏繁盛流[3]岩城氏
父母 父:岩城宣隆、母:顕性院
兄弟 重隆、女子、隆房
養兄弟:多賀谷隆経
正室:玉峯院佐竹義直娘)
継室:貞桜院本多重能娘)
涼雲院(石川(松平)乗政の妻)、景隆、女子、女子( 松平清当の妻、のち柳生俊方の妻)、男子、平次郎、女子
特記
事項
嫡孫・秀隆が跡を継いだ
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岩城 重隆(いわき しげたか)は、江戸時代前期の大名出羽国亀田藩3代藩主。新田開発や城下町の整備などを行った。官位従五位下伊予守

母・顕性院(御田の方)は、真田信繁(幸村)の娘で豊臣秀次の孫に当たる[4]

略歴[編集]

寛永5年(1628年)、2代藩主[注 1]岩城宣隆の長男として出羽国で誕生した[2]。母は顕性院(真田信繁の娘)[2]

寛永11年(1634年)3月28日、7歳のとき、江戸幕府3代将軍徳川家光御目見する[2]明暦2年(1656年)7月25日、父・宣隆の隠居により家督を相続する[2]。同年10月17日、江戸で発生した火事の際、火消役を務める[1][2]。同年12月26日、従五位下・伊予守に叙任する[1][2]。同3年(1657年)5月、はじめて領地に行く許しを得た[2]

万治3年(1660年)6月18日、大坂加番の際、大坂城に落雷があり、火薬庫が爆発、重隆は負傷し、家臣20名が死亡、80余名が負傷した(『徳川実紀』)[5]

寛文4年(1664年)4月5日、将軍・徳川家綱より、封地の御朱印を与えられた(寛文印知[2]

天和2年(1682年)、嫡子景隆が病により廃嫡となった[6]。同3年(1683年)5月、越後国に行き、高田城を番衛した[2]元禄6年(1693年)8月12日、人心を惑わした咎で配流された八王子成就院の空山という僧を預かっている[1][7][8][2]

元禄9年(1696年)4月、景隆が死去した。悲しみにくれた重隆は、専住山正念寺に供養のため念仏堂を建立したという。晩年には、孫・秀隆も廃嫡し、久保田藩士・佐竹義明[注 2]の息子・格道(又八郎)を養子に迎えようとしたようである。

宝永元年(1704年)2月18日に隠居し、秀隆に家督を譲った[6][8][9]。月峯と号した[2]。宝永4年(1707年)12月11日、死去[6]。80歳[6]。法名は雄山月峯大通院[6]総泉寺に葬られた[10]

藩政[編集]

「天鷺ゼンマイ織り」を奨励したとされる[11]

系譜[編集]

(出典:『寛政重修諸家譜[6]

父母

兄弟姉妹

  • 重隆
  • 女子
  • 隆房

正室

生母不明の子女

略系図[編集]

凡例 1) 実線は実子、点線(横)は婚姻関係。 

(出典:『広報ゆりほんじょう』No.263 2016年3月1日号[4]

豊臣秀次
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真田信之信繁
(幸村)
 
隆清院
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岩城宣隆
 
 
 
御田の方
(顕性院)
三好幸信
 
 
 
 
 
 
重隆

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 史書においては宣隆は藩主ではなく番代(代つなぎ)の存在となっている。『秋田武鑑』でも息子の重隆が岩城家の相続者という扱いになっている。これは宣隆が初代藩主・吉隆の叔父にあたり、下の世代から上の世代への相続は本来忌避されていたためである。
  2. ^ 後の久保田藩主ではなく、分家の佐竹北家当主
  3. ^ ただし、文中に「1802年に」とあるが、このとき重隆は既に亡くなっている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『亀田岩城家譜』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 続群書類従完成会 1965, p. 348.
  3. ^ 続群書類従完成会 1965, p. 345.
  4. ^ a b c 広報ゆりほんじょう|2016年3月1日号PDF版 (PDF 9.2MB)” (PDF). 由利本荘市役所. pp. 2-3. 2023年3月20日閲覧。
  5. ^ 本荘市 編『本荘市史 通史編Ⅱ』本荘市、1994年8月1日、296頁、NDLJP:9572197(要登録)
  6. ^ a b c d e f 続群書類従完成会 1965, p. 349.
  7. ^ 『人見私記続編』
  8. ^ a b 『憲廟実録』
  9. ^ 『宝永録』
  10. ^ 続群書類従完成会 1965, pp. 348–349.
  11. ^ 民芸・工芸品”. 由利本荘市 観光文化スポーツ部 まるごと売り込み課 (2023年2月1日). 2023年3月20日閲覧。[注 3]

参考文献[編集]