岡冨俊一

岡冨俊一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1961-08-05) 1961年8月5日(62歳)
身長 160cm
体重 53kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 栗東中村覚之助(1982 - 1990)
栗東・フリー(1990 - 1996)
栗東・上田三千夫(1996 - 1998)
栗東・フリー(1998 - 2000)
栗東・田所清広(2000 - 2003)
初免許年 1982年3月6日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2003年4月20日
2003年1月26日(最終騎乗)
重賞勝利 13勝
G1級勝利 1勝
通算勝利 2940戦230勝(中央のみ)
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岡冨 俊一(おかとみ しゅんいち、1961年8月5日 - )は、鹿児島県出身の現調教助手・元騎手

実子の匠悟は池添兼雄厩舎の調教助手[1]

来歴[編集]

馬事公苑の騎手養成所を経て、1982年に騎手免許を取得し、栗東中村覚之助厩舎よりデビュー。同年3月6日中京第5競走4歳新馬・インターカーク(9頭中4着)で初騎乗を果たし、同年6月6日阪神第11競走5歳以上400万下・リニアキングで初勝利を挙げた[2]。1年目の同年は初勝利を挙げた後、同12日翌13日と阪神で初の2日連続勝利、26日の中京では初の1日2勝をマーク。9月12日の阪神では初の1日3勝を記録し、最終的には30勝を挙げた。

2年目の1983年阪神障害ステークス(春)を覚之助の実子の中村均が管理するキョウエイウオリアで勝ち、重賞初制覇を飾る。同年にはダートを2連勝したジョーキジルクムで優駿牝馬(オークス)に騎乗するが、中村は開業5年目、担当厩務員はトレセンに入ったばかりの20代であった[3]。パドックで岡富は顔に真っ青にしたが、レースでは5頭横一線でタイム差無しの史上稀に見る激戦の4着に導く[3]。2年目の同年も前年と同じ30勝を挙げ、3年目の1984年からは10勝台が続く。同年のオークスをトウカイローマンで制し自身唯一のGI及びクラシック制覇を挙げるが、この時は緻密な計算で練り上げた作戦を中村から伝授され、岡富も前年の経験から緊張せずに作戦を忠実に実行[3]し、25頭中9番人気ながらダイアナソロンの二冠を阻止した。

その後はヤマニンアピール[4]を筆頭に障害競走で実績を残したが、1989年阪神大賞典ではナムラモノノフに騎乗。レース前に「8着に入れば上出来」と言っていたが、早めに抜け出したところを1番人気のスルーオダイナが迫って並んだところで入線、写真判定の結果、鼻差だけ凌ぎ、久しぶりの平地重賞勝利となった。レース後に「ゴール板を過ぎても、勝ったかどうかは確信が持てなかった。着順が出てからも、早く確定して欲しいって頭の中はそれだけ。本当にうまくはまりました」と振り返った[5][6]。ナムラモノノフには1991年京都大障害(春)でも騎乗して勝利しており、同じ馬に騎乗して平地と障害で重賞を勝つという記録を作ったが、これは岡冨が初めて達成したものである[5]

1989年はスターサンシャインで毎日杯京都4歳特別、ハツシバエースで朝日チャレンジカップを制すなど、平地重賞4勝をマーク。1990年からはフリーに転身して14勝を挙げるが、1991年は7勝と初の1桁に終わり、デビューから続けていた2桁勝利が9年連続でストップ。1992年には2年ぶりの2桁となる11勝と盛り返すが、結局は自身最後の2桁勝利となった。1993年1995年は平地0勝に終わり、上田三千夫厩舎所属となった1996年には、2年ぶりに平地でも勝利を挙げるなど9勝をマークするが、12月14日の阪神第4競走4歳以上500万下・セフティーカイザーで挙げたのが最後の平地勝利となった。1998年からは再びフリーとなり、1999年の第1回阪神スプリングジャンプではファイブポインターで逃げ切って、8年ぶり自身最後の重賞勝利を飾る。2000年からは田所清広厩舎所属となり、2002年9月2日小倉第5競走障害3歳以上未勝利・ロードスプレッドが最後の勝利を挙げる。同年に同馬で出走した阪神ジャンプステークス(14頭中9着)が最後の重賞騎乗となり、2003年1月26日京都第5競走障害4歳以上未勝利・ボストンセイコウ(競走中止)が最終騎乗となった。

2003年4月20日に現役を引退し、田所清広厩舎の調教助手に転身。田所が2010年に死去したため、現在は森田直行厩舎の調教助手[1]

成績[編集]

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 129 131 146 1622 2028 .064 .128
障害 101 112 83 616 912 .111 .234
230 243 229 2238 2940 .078 .161

主な騎乗馬[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 条件戦連勝の昨夏に「来年使いたい」 北の大地で初タイトルを ナイトオブナイツ | 池添兼雄厩舎の岡冨匠悟調教助手
  2. ^ JRA公式ウェブサイト
  3. ^ a b c 東京スポーツ2022年5月22日27面「智将 中村均元調教師 競馬戦国絵巻
  4. ^ この馬も中村均が管理していた
  5. ^ a b ナムラモノノフ(平成元年 阪神大賞典)- 日本中央競馬会公式ウェブサイト
  6. ^ 2着のスルーオダイナは直線で斜行して他馬の進路を妨害し、失格となった。

関連項目[編集]