山階宮菊麿王

山階宮菊麿王
山階宮
続柄

身位
敬称 殿下
出生 1873年7月3日
日本の旗 日本京都府
死去 (1908-05-02) 1908年5月2日(34歳没)
日本の旗 日本東京府東京市
配偶者 九条範子(先妻)
  島津常子(後妻)
子女 武彦王
芳麿王
安子女王
藤麿王
萩麿王
茂麿王
父親 山階宮晃親王
母親 中条千枝子
役職 海軍軍人海軍大佐
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山階宮菊麿王(やましなのみや きくまろおう、1873年明治6年〉7月3日 - 1908年明治41年〉5月2日)は、日本皇族海軍軍人山階宮晃親王の第一王子。母は家女房中条千枝子。官位は海軍大佐大勲位功四級

経歴[編集]

1874年(明治7年)1歳を目前に梨本宮守脩親王養子となり、1881年(明治14年)後を継ぎ梨本宮第二代となる。当初実家である山階宮は叔父にあたる定麿王(父の末弟)が継承することになっていたが、王が父と定麿王の間の兄弟の一人である小松宮彰仁親王の養子に転じ依仁を名乗ったことから、1885年(明治18年)には山階宮に復籍し晃親王の継嗣となる。梨本宮は従兄弟にあたる守正王が継承した。

王は海軍に入り「磐手」、「八雲」の分隊長を務めた。1908年(明治41年)5月2日薨去する。階級は中佐であったが、同日進級し大佐となった。また、気象学を研究し、自弁で観測所を建設するほどであった。王が建設した観測所は、気象庁を経て筑波大学筑波山神社が共同管理する筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所となっている[1]

血縁[編集]

菊麿王は公爵九条道孝の娘・範子を妃としたが、彼女が1901年(明治34年)に薨去すると、後に島津忠義の娘常子と再婚する。範子妃との間には二男一女がおり、常子妃との間に三男。第一王子武彦王は山階宮を継承し、第二王子芳麿王、第三王子藤麿王、第四王子萩麿王、第五王子茂麿王はそれぞれ山階・筑波・鹿島・葛城の姓を賜り臣籍降下した。また、王女の安子女王は侯爵浅野長武に降嫁する。

年表[編集]

1873年(明治6年)7月3日 誕生
1874年(明治7年)4月22日 梨本宮養子
1881年(明治14年)10月20日 梨本宮継承
1885年(明治18年)3月20日 山階宮に復籍
1892年(明治25年)4月 海軍少尉候補生
1893年(明治26年)7月[2] 貴族院皇族議員
1893年(明治26年)11月3日 勲一等旭日桐花大綬章
1898年(明治31年)2月13日 武彦王生まれる
1900年(明治33年)6月7日 軍令部第一局員
1900年(明治33年)7月5日 芳麿王生まれる
1901年(明治34年)6月10日 磐手」分隊長
1901年(明治34年)10月31日 安子女王生まれる
1902年(明治35年)1月1日 「山階宮筑波山測候所」が観測開始[3]
1902年(明治35年)7月8日 八雲」分隊長
1905年(明治38年)2月25日 藤麿王生まれる
1906年(明治39年)4月21日 萩麿王生まれる
1906年(明治39年)4月1日 功四級金鵄勲章
1908年(明治41年)1月 海軍大学校専科学生
1908年(明治41年)4月29日 茂麿王生まれる
1908年(明治41年)5月2日 薨去・海軍大佐

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上野ほか(2006):276ページ
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』3頁。
  3. ^ 筑波町史編纂専門委員会 編(1990):253ページ
  4. ^ 『官報』第3106号「叙任及辞令」1893年11月4日。
  5. ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  6. ^ 『官報』第6103号「叙任及辞令」1903年11月4日。
  7. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 上野健一・林陽生・辻村真貴・寄崎哲弘(2006)"筑波山頂における自動気象観測の復活"大会講演予講集(日本気象学会).89:276.
  • 筑波町史編纂専門委員会 編『筑波町史 下巻』つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.

外部リンク[編集]


先代
守脩親王
梨本宮
第2代
次代
守正王
先代
晃親王
山階宮
第2代
次代
武彦王