山田かまち

山田やまだかまち
誕生日 1960年7月21日
出生地 日本の旗 日本群馬県高崎市
死没年 (1977-08-10) 1977年8月10日(17歳没)
死没地 群馬県高崎市
国籍 日本の旗 日本
芸術分野 絵画
出身校 群馬県立高崎高等学校
代表作
  • 『悩みはイバラのようにふりそそぐ』
  • 『山田かまちのノート』
  • 『17歳のポケット』
影響を受けた
芸術家
影響を与えた
芸術家
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山田 かまち(やまだ かまち、1960年(昭和35年)7月21日[1] - 1977年(昭和52年)8月10日)は、日本の画家詩人[2]。死後、遺作となった絵画を収めた『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』(1992年)で広く知られるようになった。

生涯[編集]

「かまち」の名前の由来は、終戦直後に両親が読んだ歴史小説和島誠一著「日本歴史物語」の主人公の名前である[要出典]。その小説は「鹿麻知(かまち)」という少年が、石器時代を舞台に活躍するというものであり、両親は「終戦直後であったので、この少年のように新しい時代を強く生きるように」という願いをこめた[要出典]。また、「かまち」のひらがな表記の理由は、「かまち自身が自由に漢字をあてられるように」という意図がある[要出典]

群馬県高崎市出身[1]。幼少より絵画の才能を発揮した[1]。高崎市立倉賀野小学校へ入学[1]。同級生に後にロックバンドであるBOØWYに所属した氷室京介松井恒松、ソプラノ歌手の出来田三知子がいた[3]。小学校3年生のとき、東京芸術大学出身で、後に新島学園高校の美術科非常勤講師となる竹内俊雄がクラスの担任になる[1]。その当時の冬休みの宿題で動物の絵(52枚)を1時間あまりで描き上げる[1]。これらの作品は竹内によって保管され、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。のちに竹内はかまちを当時の美術界のパトロン井上房一郎に引き合わせた[1]

1973年、高崎市立倉賀野中学校に入学し、天文学に興味を抱く[1]。1975年、ビートルズなどのロックに傾倒する[1]。氷室や松井とロックバンドを組み練習していたこともあった。この頃、「プリーズ・ミスター・ポストマン」などの作品を手がけた[1]。高校受験に失敗して浪人[1]、前橋市の英数学館に通う[4]。この時期に多くの水彩画や素描、詩、物語、漫画などを描いた[1]

1977年、群馬県立高崎高等学校に入学[1]。友人数人と学園祭で映画を作成し出演するが[1]、同年8月、自宅でエレキギターを練習している際に死亡[1]。このギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった。死因については感電事故とされる[1][5]。かまちの死については自殺説などもある。かまちの没後、母親が出版した本には「改造したエレキギターの電源コードが原因の感電死」と記されているが、この本自体はノンフィクションの人物伝として書かれたものではなく、様々な点で創作箇所があると指摘されている[要出典]。BOØWYのデビュー・アルバム『MORAL』(1982年)の表題曲には「あいつが自殺したって時も…」という一節があり、山田の死を題材とした楽曲となっている[6]。また、山田の感性の鋭さは氷室にも影響を与えたと言われている[6]。書籍『PERFECT BOOK BOØWY』において同曲は「『人の不幸が大好き』と連呼する尖った曲。人間の汚い部分を浮き彫りにしている」と紹介されており、山田の死を題材にしているものの氷室がそれを喜んでいた訳ではないことを指摘した上で、初期BOØWYの歌詞が露悪的であったことを前提に解釈するべきであると記している[7]

死後[編集]

高崎市山田かまち美術館

1981年、前橋市で「山田かまち絵画遺作展」が開催される[1]。1989年、井上房一郎主催により、高崎市の画廊で「山田かまち水彩デッサン展」が開催される[1]。1992年、「山田かまち水彩デッサン美術館」が開館する[1]。その後、同年12月に『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』が刊行され、1990年代初期には全国的なブームを呼んだ[1]。かまちの作品が美術や現代国語、社会の教科書などにも掲載されるほどであった[1]

2000年、生誕40周年を記念した巡回展が全国各地で開催され、「かまち現象」と言われた[1]2004年、母・千鶴子が書いた『かまちの海』を原作にした伝記映画かまち』が公開(監督望月六郎、主演谷内伸也)された。2014年、山田かまち水彩デッサン美術館が高崎市の市営施設となり、「高崎市山田かまち美術館」に改称[1]

人気[編集]

かまち人気について、精神科医のなだいなだは「暗闇の中に浮かぶ小舟のように孤独な一七歳の心に、かまちの作品はメッセージを投げかけるのだ。強烈な閃光を」と評した[8]

著作[編集]

関連書籍[編集]

  • 板垣英憲著『山田かまち伝説』(データハウス、1994年)ISBN 4887182023
  • 文藝春秋編『ありがとう、かまち : 山田かまちへの熱いメッセージ』(文藝春秋、1996年)ISBN 4163515305
  • 山田千鶴子著『かまちの海』(文藝春秋、2001年)ISBN 4163574301
  • アートブック本の森編著『夭折の系譜 : 20人のアーチストの死から考える』(アートブック本の森、2001年)ISBN 4876937737

かまちを特集したテレビ番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 山田かまちについて | 高崎市”. www.city.takasaki.gunma.jp. 2021年12月16日閲覧。
  2. ^ ただし、死去時点ではそれらを職業としていたプロというわけではなく、ロック音楽好きで大学受験を目指して学問に励んでいた一般人たる普通の高校生だった。
  3. ^ 山田かまち 1996, p. 188.
  4. ^ 山田かまち 1996, p. 190.
  5. ^ 『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』(筑摩書房)「はじまり」に「練習の最中に亡くなっているのだから事故以外考えられません。」という記述がある。
  6. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 113- 不二雄、江口崇、編集部「『BOØWY COMPLETE』全114曲完全楽曲解説!」より
  7. ^ PERFECT BOOK BOØWY 2012, p. 92「BOØWY発表曲全レビュー<CD(レコード)及びDVD(ビデオ)発売リスト>」より
  8. ^ 『悩みはイバラのようにふりそそぐ』のまえがきより。

参考文献[編集]

  • 山田かまち『17歳のポケット』集英社集英社文庫〉、1996年6月20日、188 - 190頁。ISBN 9784087484878 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」」『別冊宝島』第653号、宝島社、2002年6月7日、113頁、ISBN 9784796627245 
  • 『PERFECT BOOK BOØWY』アイビーコーポレーション〈MSムック〉、2012年3月1日、92頁。ISBN 9784864251600 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]