山本藤助

山本 藤助(やまもと とうすけ)は、海運業で成功した大阪の豪商が襲名した名前。山本汽船、山本鋼業などを経営した。

歴代[編集]

山本汽船[編集]

第一次大戦勃発による海運業好況に乗じて、1918年に山本藤助商店の汽船部を独立させて「山本汽船株式会社」を創立、2代目藤助が初代社長となる(資本金200万円、大阪市南区安堂寺橋通り1丁目)[6][7]。新造船を順次進水させて事業を発展させたが、1926年に社長が急逝し、3代目藤助が継承、貸船主義にて営業し、浅間丸、南華丸は山下汽船へ、遼海丸は国際運輸へ、元山丸は帝国汽船近海郵船へ貸し出された[7]。1943年には日本郵船と徹底的提携を結び事業を拡大、当時船隊計14隻を所有するほか、大戦中に4隻を建造していたが、戦争中にそのうちの15隻を撃沈された[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b 山本藤助『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  2. ^ a b c 山本鋼業(株)『山本家創業八十周年小史』(1952.06)渋沢社史データペース
  3. ^ a b 山本藤助『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  4. ^ a b c d 3代目山本藤助氏 鉄と海運で先代の資産守る日本経済新聞、2019年6月22日
  5. ^ 『別府史談』28号 表紙/表紙裏別府大学、2015-03-27
  6. ^ 1918年山本鋼業(株)『山本家創業八十周年小史』(1952.06) 
  7. ^ a b 『海運興国史』海事彙報社、1927年、p263
  8. ^ 1943年山本鋼業(株)『山本家創業八十周年小史』(1952.06)