山名政清 山名 政清(やまな まさきよ、生没年不詳)は、室町時代中期の武将、守護大名。石見・美作守護。山名教清の子。官位は兵部少輔。 長禄年間から石見・美作の守護を受け継ぎ、応仁元年(1467年)に応仁の乱が始まると宗家の当主山名宗全に従って西軍に所属して戦った。この際、美作を山名忠政に任せていたが後に忠政軍も京に上ったため、この隙に美作を赤松政則に奪われ、守護職も交代させられた。文明9年(1477年)の大乱終結時には石見も大内政弘に替えられたが、その後の消息は不明。 参考文献[編集] 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 7 や - わ』吉川弘文館、1993年。 佐藤和彦、錦昭江、松井吉昭、櫻井彦、鈴木彰、樋口州男共編『日本中世内乱史人名事典』新人物往来社、2007年。 関連項目[編集] 山名氏