山中辰四郎

山中 辰四郎(やまなか たつしろう、1890年明治23年)7月7日[1] - 1971年昭和46年)12月11日[1])は、昭和期の日本の政治家で、公選2人目の佐世保市長である。

概要[編集]

佐世保市出身。戦前に佐世保市議会議員を1期(1933年~1937年)務めた後、市役所職員となり、総務課長、助役を経て、1955年4月の市長選挙で現職の中田正輔を破って第15代佐世保市長に就任、2期8年間に及び市長を務めた。

在職中には佐世保工業高等専門学校海上自衛隊教育隊の誘致を実現したほか、石岳動植物園の開園、鹿子前への観光道路整備など、観光都市としての基盤整備に努めた。

1963年4月の市長選に3選を目指し出馬したが、元市議会議長の辻一三に阻まれ落選、4年後の1967年4月の市長選にも再度挑戦したが再び辻に敗れた。死去後、佐世保市名誉市民の称号を贈られた。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、411頁。