屋久島自然環境文化村

屋久島自然環境文化村(やくしましぜんかんきょうぶんかむら)は、鹿児島県屋久島での1992年から1994年にかけての基本構想[1][2]

概要[編集]

屋久島は地核活動により海底の堆積層を花崗岩が押し上げ隆起したである。中央に九州地方最高峰の峰々がひしめき、深い渓谷をつくり出している。この地形が亜熱帯から亜寒帯に至る多様な気候帯を生み出し、東洋のガラパゴスと呼ばれるような屋久島固有の生態系をつくり出している[3]

屋久島の自然環境文化村のランドスケープデザインは、デザイン原理で造形するのではなく自然の造形力を活用することで屋久島らしいランドスケープデザインの成立を試みる。幾度となく現地に足を踏み入れ、大地から沸き立つ自然の声に耳を傾ける[4]。そして一つ一つ植物を採集し、正確に名前を確かめると、一見単なるの植林地にしか見えなかった場所の生態系が明らかになり、屋久島の固有のフローラが浮かび上がってくる[5]。屋久島ではこのように植林地で人々の生活が深くかかわっている場所ですらその自然の固有性は失われていないということがさらに明確になり、計画に一つの確固たる方向性が与えられた。そしてこの特性をブログラム化し,フォルム化してゆくのが我々のデザインのやり方である[6]。屋久島の強い自然の生命力を生かして、マイナスの植栽計画とでも呼ぶべく,殆ど植栽をせずに間伐により森に差し込む光の量を調整することにより生態系にゆだね、新たに多様な林相を生み出す試みである貴重な屋久島の遺伝子を保護する意味からも島外からの植物の搬入は避けるべきであると考えた[7]

全休配置計画案で建築は自然地形に沿って貴重な植物群落を避け、森のなかへ流れ込んでゆく。歩道やベンチなど計画される施設はすべて苔がのり、自然に馴染む素材だけを使用しており、エントランスの風景は、限地産の石積が連続的に空間を間仕切り、建築は森の中にひそむようにたたずむ[8]

自然を生かした庭園というかたちで排水路はコンクリートで固めず自然石で落差を形成し緩やかに流れる。やがて苔が生え、シダが生育し森に帰ってゆく。枯れ沢の風景、切り取られた岩を流れる水、計画地に生える木生シダ:ヘゴなど[9]

参考文献[編集]

  1. ^ 鹿児島県:屋久島環境文化村マスタープラン報告書, 1992
  2. ^ 小野寺浩「屋久島環境文化村構想におけるゾーニング」『造園雑誌』第57巻第4号、日本造園学会、1993年3月、356-363頁、doi:10.5632/jila1934.57.356ISSN 0387-7248NAID 110004092315 
  3. ^ 小谷野錦子「屋久島の循環型社会形成と自然遺産」『経営研究』第14巻第2号、愛知学泉大学、2000年12月、253-280頁、ISSN 09149392NAID 110006609372 
  4. ^ 野口紳一「屋久島環境文化村構想」『土木学会誌』第80巻第12号、土木学会、1995年11月、14-17頁、ISSN 0021468XNAID 10001644828 
  5. ^ 小野寺浩, 「万物環流(4)屋久島 環境文化村」『論座無 (131), 2006年4月号, 朝日新聞社, NAID 40007148754
  6. ^ 枝松克巳,「屋久島環境文化村構想の新たな展開」『土木学会誌』 90(4), 2005年4月号, NAID 10014001210
  7. ^ 鹿児島県環境生活部環境保護課「屋久島環境文化村中核施設の開館について」『国立公園』 (547), 24-27, 1996年10月号, 国立公園協会, NAID 40001377154
  8. ^ 星野一昭,「自然と共生する新しい地域づくり--屋久島環境文化村構想 (第51回都市計画全国大会号 鹿児島県特集)」『新都市』 53(10), 1999年10月号, 都市計画協会, NAID 40001936099
  9. ^ 佐山浩, 西田正憲「屋久島のエコツーリズムの近年の動きとその特徴」『ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌』第63巻第5号、日本造園学会、2000年3月、749-752頁、doi:10.5632/jila.63.749ISSN 13408984NAID 110004305128 

外部リンク[編集]