尾﨑久仁子

尾﨑 久仁子(おざき くにこ、1956年2月20日[1] - )は、日本国際法学者。元国際刑事裁判所裁判官。元外交官中央大学法学部特任教授。常磐大学総合政策学部特任教授全日本柔道連盟評議員。

経歴[編集]

広島県府中市出身。東京教育大学附属高等学校を経て、1978年東京大学教養学部教養学科国際関係論専攻卒業。1979年東京大学大学院社会学研究科中退後、外務省入省[2]条約局法規課、国連政府代表部等で国際法分野の業務に従事。この間、1982年にオックスフォード大学修士国際関係論)を取得。法務省に出向し、法務省刑事局付、同省入国管理局難民認定室長1998年 - 1999年)を歴任。外務省に復帰後、同省総合外交政策局人権難民課長(1999 - 2001年)を務める。2001年には東北大学大学院法学研究科教授に就任し、国際法を担当(2003年からは神戸大学大学院国際協力研究科教授を併任)。2004年、再び外務省に復帰、在ウィーン国際機関日本政府代表部公使を務めた。2006年、日本人として初めて国連薬物犯罪事務所(UNODC)条約局長に就任。2009年4月から政策研究大学院大学教授を務めるとともに、外務省参与生物多様性条約COP10担当大使)を兼務。同年11月にオランダハーグ国際刑事裁判所で行われた斎賀富美子の死去などに伴う補欠選挙で当選(任期は2018年3月まで)。2010年1月より斎賀に継ぐ日本人二人目の裁判官を務めた[3][4][5]。ベンバ事件、ケニヤッタ事件(裁判長)、ンタガンダ事件などを担当[6]、裁判の傍ら、2013年に第一審裁判部長、2015年に同裁判所の第二副所長に就任した[6]。任期満了後も、担当事件の審理が続いたため、同事件に限り判事の職務を継続した。2019年2月に非常勤の判事となり、駐エストニア特命全権大使に任命された[7]。裁判所は兼務可能としてこれを許可したが[8]、ンタガンダ事件の弁護人が兼務を理由に忌避申立てを行い[9]、裁判の遅延により、同年4月19日付で特命全権大使を退任した[10][11]。裁判所は、理由がないとして忌避申立てを却下し[9]、同年7月にンタガンダ被告の有罪判決[12]、11月に刑の言渡し[13]が行われた。これに伴い、同月、非常勤の任期が終了し、裁判官を退任した。

2020年常磐大学総合政策学部法律行政学科特任教授[14][15]

2021年中央大学法学部特任教授。

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.182
  2. ^ 国際人権・刑事法概論 著者紹介
  3. ^ 尾崎氏IOC判事に当選 補欠選挙で、日本人2人目 - MSN産経ニュース Archived 2009年12月19日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 【旬People】尾崎久仁子さん 国際刑事裁判所の裁判官に就任 Archived 2010年2月5日, at the Wayback Machine.
  5. ^ 尾崎久仁子政策研究大学院大学教授・外務省参与の国際刑事裁判所(ICC)裁判官当選について(外務省ウェブサイト、2013年5月2日閲覧)
  6. ^ a b Judge Kuniko Ozaki”. 国際刑事裁判所ウェブサイト. 2019年12月30日閲覧。
  7. ^ 2019年2月12日 08:41時事通信社2019年2月12日 08:41
  8. ^ 2019年3月22日国際刑事裁判所裁判所長会議通知(ICC-01/04-02/06-2326) 
  9. ^ a b 2019年6月20日国際刑事裁判所裁判所長会議通知(ICC-01/04-02/06-2355)
  10. ^ 人事外務省毎日新聞2019年4月20日 東京朝刊
  11. ^ 2019年4月14日国際刑事裁判所所長会議決定(ICC-01/04-02/06-2346 14-05-2019)、パラグラフ33
  12. ^ コンゴの「ターミネーター」 戦争犯罪で有罪判決 ICC”. AFP. 2019年12月30日閲覧。
  13. ^ Bosco Ntaganda、「The Terminator」、コンゴの犯罪で30年を取得”. Communal News. 2019年12月30日閲覧。
  14. ^ 茨城社会安全政策研究所主催、第3回茨城社会安全研究会オンラインシンポジウム開催常磐大学2021年1月20日
  15. ^ 特別職国家公務員の再就職状況の公表について令和2年4月1日~令和3年3月31日(PDF/132KB)内閣人事局

外部リンク[編集]