小沢昭一の小沢昭一的こころ

小沢昭一の小沢昭一的こころ
ジャンル 漫談
放送方式 録音
放送期間 1973年1月8日 - 2012年12月28日
放送時間 月曜-金曜 12:20 - 12:30
放送回数 10,410回
放送局 日本の旗 日本 TBSラジオ
制作 TBSラジオ
TBSプロネックス
ネットワーク 日本の旗 日本 JRN
パーソナリティ 小沢昭一
テーマ曲 山本直純『明日の心だ』(インストゥメンタル)
プロデューサー 坂本正勝
特記事項:
放送時間は2012年10月以降、TBSラジオでのもの。
制作は2012年10月以降のもの。
放送回数は、2012年12月7日までのもの(過去の放送の傑作選も含む)。
放送終了日は原則、全ネット局のもので、ただしTBSラジオは同年12月14日まで放送、他のネット局は12月28日まで放送を継続していた。

なお、番組開始当初から、ほとんど全てのテーマ週及び、全放送回については、著作権保護のため、内容の一部を変更していた。


2012年9月24日-28日迄放送予定だった新作テーマ回については、小沢本人が体調不良で入院したために収録又は放送を中止した。


なお、11月16日に小沢本人による自宅にて収録した最後のメッセージを放送した。

大阪では、1998年4月3日放送分までは、ABCラジオ経由でネットされた。

2012年12月の放送終了以降、過去の放送の傑作選を収録したCD等は、2023年9月現在も、TBSショッピングにて販売を継続している。
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小沢昭一の小沢昭一的こころ』(おざわしょういちのおざわしょういちてきこころ)は、TBSラジオおよびTBSプロネックス(2012年9月まではテレコム・サウンズ、現在:TBSグロウディア)の制作、TBSラジオをキーステーションに、JRN加盟各局で月曜日から金曜日までの異なる時間に日本国内で39年間にわたり放送されていた、ラジオトーク番組モノローグ番組)であった。

放送期間は、1973年1月8日から[1][2]2012年12月28日(キー局のTBSラジオは、12月14日)まで放送された。

番組開始から1998年4月3日まで、トヨタ自動車トヨタディーラー(トヨタの販売店)が一社提供を務めており[3]、原則全国同時ネットで放送された。

毎週月曜に、翌週分の収録が行われていた[4][5]

タイトル名も「小沢昭一です」ならぬ、もちろん『小沢昭一の小沢昭一的こころ』が正式だった。また、単に「小沢昭一的こころ」とも呼ばれていた。[6]また、新聞ラジオ欄等では、「小沢昭一的心」、「小沢昭一」、「昭一」、「昭一的心」、または「[7] とそれぞれ表記する場合も多かった。

なお、小沢本人の著書等によるトーク締めの雄叫びについては、「また明日のこころだぁ!!」または「来週のこころまでぇ!!」ではなく、「また明日のこころだァーッ。」または「また来週のこころまでェーッ。」というのが、正しい表記であった。

また、長寿番組として、TBSラジオの看板番組の一つでもあった。 番組終了から10年経過した2023年も引き続き、永久保存版等として、当番組の過去の放送の傑作選CDの販売は継続しており、TBSショッピングで購入することができる。

概要[編集]

1962年3月から1969年4月までTBSラジオで放送された『森繁の重役読本』の後継番組として企画された[8][9][10]。出演者の小沢が(パーソナリティーを)“口演”と称し、週代わりのテーマ(「○○について考える」)に沿って(番組開始当初から)、小沢さん本人の軽妙な節回しでの話術で物語る。扱うテーマは時事問題から下ネタまで幅広く、永年の固定ファンが多かった。落語家五代目柳家小さんが「本当の現代の落語」とつぶやいたというエピソードを弟子の柳家小三治が残している[5]

宮坂さん」なる架空の人物が、概ねストーリーの主人公を務める[11]。番組初期には「昭和ヒトケタ」の働き盛り、かつ悲哀漂うサラリーマンの設定(実際には小沢の分身的な役回り)が多かった宮坂さんも、小沢が年輪を重ねるに従い「宮坂お父さん」「宮坂薬局店長の宮坂さん」等、第一線から退いたことをうかがわせる表現が用いられるようになった。

本番組プロデューサーの坂本正勝を揶揄した「ノーテンキプロデューサー」[12]、宮坂さん行きつけのバーの「れいこママ」と「詩人のヒモ(タロウ)」、子供「とおる」「ななえ」等、固有名詞を持つ脇役も登場するが、宮坂夫人は「奥方」或いは「お前」で特に名は無かったが、2010年5月19日放送分で夫の宮坂さんに「アリコ」とよばれ、ナレーションで「有子(ユウコ)」という名前であることが明かされた。ナレーションも含め、これら全員を小沢が独演する。

猛妻の尻に敷かれ子供らに疎んじられる「中年男の悲哀」を基本に、「愚痴を交え、斜に構えた蘊蓄を世事に傾ける」「落ちと言った落ちが無い(その都度テーマを変え、次回に期待を抱かせつつ延々と続く)」路線は、前身の「森繁の重役読本」からそっくり承継されたもの[8]

過去の放送内容の一部は「小沢昭一的こころ」として書籍化され、最晩年となった2012年にも「ラジオのこころ」のタイトルで文春新書の一冊として出版された。

1983年1月30日[2] の19時 - 20時55分[13] には、本番組をもとにした特別番組小沢昭一SP「元祖・蒲田行進曲」」(おざわしょういちSPがんそ・かまたこうしんきょく)[13] が放送された[2]。蒲田で生まれ育った少年・青年期の小沢自身について語ったものであり、同年の民放連賞(日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞)・ギャラクシー賞(制定20周年記念・特別賞)を受賞した[2]

この1983年アポロン音楽工業より、「特撰小沢昭一的こころ」(カセットテープ全5巻)が発刊された。

  • 1巻 背中丸めて屋台について考える/タッチさわるについて考える
  • 2巻 ヒラヒラ、パッと裾について考える/何かと便利な輪ゴムについて考える
  • 3巻 花は霧島 混合入浴旅:その1/花は霧島 混合入浴旅:その2
  • 4巻 何かと気になる隣りについて考える/ちょっと一息タンマについて考える
  • 5巻 慰めるについて考える/ノルマ やらねばならぬについて考える

番組開始15周年となる1988年から1991年にかけて「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(カセットテープ全12巻。発売:CBSソニー)が発刊された。

  • 1巻 女子マラソンはいい、走るについて考える/着替えるはき替えるについて考える
  • 2巻 お父さんの国際化について考える/罰当たりについて考える
  • 3巻 危険な情事を見た、泥沼について考える/月月火水木金金について考える
  • 4巻 オイ虐待はよせ!について考える/金色夜叉について考える
  • 5巻 乙女の祈りについて考える/胃袋について考える
  • 6巻 お背中流しましょうについて考える/養生訓について考える
  • 7巻 手引きマニュアル指導要領について考える/小判鮫、おこぼれ頂戴について考える
  • 8巻 お父さんはお母さんだお母さんはお父さんだについて考える/草創期草分について考える
  • 9巻 あら?もうおしまいについて考える/ギュッとしぼって、カスについて考える
  • 10巻 そっくりさん、偽せ物について考える/のどかさやァ…長閑について考える
  • 11巻 霜焼けについて考える/万物の素グヂャグヂャについて考える
  • 12巻 いこかもどろかオーロラの下をについて考える/Are You Awake? 春のお目覚について考える

※なお、音源は著作権保護のため、内容の一部を変更している。

20周年となる1993年には全編小沢の歌唱による、番組20周年企画をほぼそのまま収録した2枚組CD「唱う小沢昭一的こころ」(1993年6月2日、ビクター音楽産業から発売。番組20周年企画の3週・15回分を収録)が、35周年となる2008年には「小沢昭一の小沢昭一的こころ大全集」(CD10枚組。発売:ジェネオンエンタテインメント)が[5]、それぞれ記念発売された。2011年3月30日には、「小沢昭一の小沢昭一的こころ ゴールドボックス」と題したアルバムCD10枚組ボックスが発売された(発売:TBSラジオ、販売:日本コロムビア[14]。「ゴールドボックス」の1枚目・2枚目には、先述特番がそれぞれ「小沢昭一の小沢昭一的こころ10周年記念スペシャル 元祖 蒲田行進曲 その壱」「小沢昭一の小沢昭一的こころ10周年記念スペシャル 元祖 蒲田行進曲 その弐」というタイトルで収録された。

開始25周年となる1998年には、スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞[15]2000年6月、小沢と制作スタッフが放送文化基金賞個人・グループ部門を受賞[2]

2011年3月14日から、3月11日午後に発生した東日本大震災に配慮し番組を一時休止した。ただし一部のネット局では裏送りで放送した。

2011年5月13日放送分をもって、番組開始から通算記念すべきとなる、1万回を達成した[16]。1万回目の週のテーマは「一万回記念、万について考える」(※放送時のタイトルコール表記。公式ページのオンデマンド放送分の表記によると「ひとり万葉集、一万回について・・・考える」となっている)1万回目の放送は「宮坂薬局店長の宮坂さん」が結婚30周年について奥さんと話し、その後小沢が歌う「東京音頭」に繋げる内容となっていた。 また、長寿番組であったものの、放送1万回を迎えたこの時期に小沢は放送2万回を目指して、意欲していたが、翌年12月に急逝した。

小沢の急逝・そして番組の終焉へ[編集]

2012年9月24日放送分から、小沢が長年患っていた前立腺がんによる体調不良により入院した。本編は9月21日放送で急遽終了。また次週に予定されていたテーマは、「新宿今昔について考える」だったが、小沢本人の体調不良による回復が見込まれずに復帰が困難であったことから事実上での降板。同テーマはオンエアされることなく、収録も中止となったため完全に打ち切りとなった。その代わりとして40周年特別企画として過去の傑作選を12月28日まで放送した。同日の番組冒頭ではナレーションの藤田恒美が小沢本人の体調が優れない旨と傑作選放送のコメントを述べた。なお、同年11月16日は自宅にて収録された、番組最後の仕事となる小沢のメッセージを放送していた[16][17](収録日:11月5日[17])(一部は、小沢死去の際マスコミでも伝えられた[17])。

なお、メッセージは以下の通りとなっていた。

※最初に、藤田恒美のナレーションが入る。

「ここで、お休み中の小沢昭一さんから届いたメッセージをご紹介します。」

※次に主題曲とともに、11月5日に収録した小沢本人最後のメッセージが入る。

えー私、小沢昭一、ちょっと体の調子が悪くて、今お休みを頂戴しております。
番組が始まって、もう40年にもなるんですが、これだけ長い間やっておりますと、この番組は体の一部のようなものでありまして…。
お休みしている今は、もうこころにポッカリと穴が開いているような、そんな『空』
(くう)な感覚もあるんですね?
ですから早く元気になって、このこころの『空』
(くう)の穴を皆さんと埋めていきたい。そう思うんであります。
よろしくぅ、
また明日のこころだァーッ。

~2012年11月16日放送の自宅にて 収録した最後のメッセージより。~

 ※なお、傑作選期間中の2012年9月24日以降に放送する予定だった次回のテーマにおける収録・ならびにオンエアをTBSラジオでは12月14日、またネット局では28日の最終回の放送まで中止し、小沢本人は自宅にて収録したこのメッセージを最後に、同年12月10日午前1時10分に、東京都内の病院にて享年83歳で急逝した。

12月10日に小沢は死去[18]。12月10日、本来であれば本番組傑作選の放送が予定されていた『大沢悠里のゆうゆうワイド』(8:30 - 13:00)内の該当時間帯(12時台)では、内容を変更。『ゆうゆうワイド』のパーソナリティである大沢悠里が小沢の訃報を伝えるとともに永六輔毒蝮三太夫が生放送で電話出演し、追悼として2011年7月4日に小沢がゲスト出演した「お昼のスーパートーク」の放送回の一部が放送された[19][20]。なお、キー局のTBSラジオでは以後の番組の取り扱いを「現在のところ決定していない」としたほか、追悼特別番組を検討中であることを発表した[19][21][22]

11日には、12月11日から12月14日までは追悼コーナーを放送すること[15]、12月14日の第10415回(12月10日放送分は休止となったため、実際には10414回)をもって最終回とすることが報じられた[23]。追悼コーナー初日は、前年6月放送分の編集版として「ハーモニカについて考える」が放送された[24]。そして、12月14日まで傑作選が放送され、10414回でTBSラジオの放送は終了した[25][26]

最後の新作となった2012年9月21日放送分までの回数は10355回だった[16][27][28]。TBSラジオでは12月10日(テーマ「大百貨店について考える 第1話」=2010年放送)の放送を休止したが、一部のネット局では予定通り放送したほか、公式ウェブサイトでの配信も行われた。

TBSラジオでの終了後も、HBCラジオTBCラジオCBCラジオRKBラジオ等、他のネット局裏送り扱いとして各局で終了日が異なるものの概ね引き続き傑作選を放送し、12月28日までに全ネット局での放送を終了。1973年1月の第1回スタート以来、「小沢昭一的こころ」は、放送歴40年、延べ通算10414回という放送回数、そしてその歴史にピリオドを打つこととなった。(後述も参照)。また、番組公式ウェブサイトでのオンデマンド配信も、一部ネット局にあわせ傑作選を配信していた。

小沢昭一さん追悼特別番組「明日のこころだ 小沢昭一について考える」[編集]

2012年12月29日の20時 - 21時には、『小沢昭一さん追悼特別番組「明日のこころだ 小沢昭一について考える」』(おざわしょういちさんついとうとくべつばんぐみあしたのこころだ おざわしょういちについてかんがえる)を放送[26][29]。司会は、堀井美香(当時TBSアナウンサー)[26][30]。『小沢昭一的こころ』など小沢出演番組の音源と[30]黒柳徹子[30]大沢悠里[30]柳家小三治[30]藤田恒美[30] ほか小沢と親交のあった人物からの追悼メッセージで構成[30]。一部JRN系列局でもネットされた(後述も参照)。

放送批評懇談会が主催する第50回ギャラクシー賞において、ラジオ部門特別賞を受賞した[31][32]

※なお、大阪のABCラジオでは、この追悼特別番組はネットされていなかった。

番組終了後[編集]

2015年12月2日、小沢の没後3年を機とした企画CD-Box「小沢昭一的こころ 昭和の傑作選CDボックス」(10枚組)が日本コロムビアより発売された。プロデュースは大沢悠里と謳われている。

  • 【DISC1】ラジオは叫ぶ1・2・3について考える(平成元年10月9日-13日放送)/お父さんはお母さんだ お母さんはお父さんだについて考える(平成2年1月8日-12日放送)
  • 【DISC2】慰めるについて考える(昭和57年5月17日放送)/義務、ノルマ、やらねばならぬを考える(昭和54年8月27日放送)
  • 【DISC3】何かと気になる隣りについて考える(昭和56年2月9日放送)/ちょっと一息タンマについて考える(昭和55年9月29日放送)
  • 【DISC4】お父さんの国際化について考える(昭和63年3月28日-4月1日放送)/女子マラソンはいい、走るについて考える(昭和63年2月22日-26日放送)
  • 【DISC5】花は霧島、混合入浴旅:その①(昭和57年3月22日-26日放送)/花は霧島、混合入浴旅:その②(昭和57年3月29日-4月2日放送)
  • 【DISC6】不景気と言えば、僕が生まれた頃について考える(平成5年10月25日-29日放送)/万物の素グヂャグヂャについて考える(平成3年2月18日-22日放送)
  • 【DISC7】実演について考える(平成3年12月30日-1月3日放送)/ナメクジについて考える(昭和63年6月14日-18日放送)
  • 【DISC8】マイ・ブルー・ヘブン私の青空について考える(昭和63年9月27日-10月1日放送)/夜店について考える(昭和63年8月16日-20日放送)
  • 【DISC9】『なに、遊ぶために働く?月月火水木金金について考える(昭和63年5月10日-14日放送)/あら?もうおしまいについて考える(平成元年8月21日-25日放送)
  • 【DISC10】唱う小沢昭一的こころ(1)シンクロ歌合戦(平成4年12月28日-1月1日放送)/(2)新春かくさず芸大会(平成5年1月4日-8日放送)/(3)正月気分は反戦気分(平成5年1月11日-15日放送)

※なお音源は、著作権保護のために内容の一部を変更している。

スタッフ[編集]

番組の流れ[編集]

  • 小沢の前説→間奏曲→本題。
  • エンディングテーマ[36]CMorフィラー音楽
  • 20秒の締めの一言。
    • ネット局では、直前に提供クレジットを挿入。
    • 小沢の「また明日の○○のこころだァーッ」または「また来週の◯◯のこころまでェーッ。[37]雄叫び→エンディングテーマで終了[38]。尚このローテーションは、番組開始から小沢の急逝まで変わることなく固定されていた。
  • 番組終了時のフィラー音楽はノーマンブラウンの「inside」だった。

放送時間の変遷[編集]

制作局のTBSラジオでは、開始当初は17時45分 - 18時に放送[1]。当初より、17時からのワイド番組東京ダイヤル」(1973年4月13日まで)→「おつかれさま5時です」(1973年4月16日 - 1983年4月8日)内でされていた。その後、直後のニュース番組(「ニュースハイライト」→「ネットワークトゥデイ」)内で拡大に従い、1983年4月11日から17:30(「若山弦蔵の東京ダイヤル954」内)へ開始時間を前倒しして行き、1993年4月より17時15分開始となった。1995年4月10日から1998年4月3日までは「荒川強啓 デイ・キャッチ!」内で番組として放送された[39]

なお、この時期までは最初のエンディングテーマが流れCMが挿入された後、ローカルコーナーが挿入されていた。ローカルコーナーではTBS発のBGMが流れており、ローカルコーナーが終わりBGMがフェードアウトし切らないうちに締めの一言が始まり2回目のエンディングが入っていた。ローカルコーナーは「うわさの調査隊」→「メキキの聞き耳」→「ニュースクリップ」へと受け継がれ、『デイ・キャッチ!』終了と共に廃枠した。なお本番組が番組販売へ移行した後は、1回目のエンディングの後CMを挟んで締めの一言へ移る形となった。

1998年4月6日よりスポンサーの都合で夕方の全国ネット枠から移動・10分枠への変更となり、各局で異なる放送時間となった。TBSラジオでは当初「松崎菊也のいかがなものか!?」内でされ(15時30分頃)、1999年4月5日より「大沢悠里のゆうゆうワイド」内の12時台(下記参照)に変更された。

大阪のABCラジオでは、17時30分(後に17時15分)開始「ニューススタジアムABC」内でされていた期間のみ、テープネットによる時差放送を行い、アナウンサーの進行次第で17時35分(17時20分)頃の開始になる場合が多かった。そのため、全国ネットの後続番組「ニュースハイライト」→「ネットワークトゥデイ」[40] と放送時間が一時期バッティングしていたが、「ニューススタジアムABC」から独立した時点で解消した[41]

ネットしていた局[編集]

特記ない限り、ネット局と放送時間(終了当時)を明記。

2012年12月時点でネットしていた局[編集]

小沢の逝去をうけた12月10日以降の各局における取り扱いはそれぞれ異っている。なお、TBSラジオが放送を終了した翌週にあたる12月17日以降も放送を続ける局では、12月28日まで「追悼放送」として引き続き傑作選を放送していた。

  • TBSラジオ(番組制作局。2012年12月14日で終了)…12:20 - 12:30[42]12:15 - 12:25[43][44]12:22 - 12:30とする場合もあった。
北海道・東北地方
東海・北陸・甲信越地方
中国・四国地方
九州・沖縄地方

小沢の死去以前にネットしていた局[編集]

  • ABCラジオ(トヨタがスポンサー降板する1998年4月3日まで、時間変更を繰り返しつつ放送[50]。終了当時の放送時間は、17:15 - 17:30[51]
  • RSKラジオ(トヨタがスポンサー降板する1998年4月3日までネット。その後は、2002年4月から2006年3月31日まで)
  • RCCラジオ(トヨタがスポンサー降板する1998年4月3日までネット。その後は、2005年4月から2007年3月30日まで)
  • RNC西日本放送(1999年10月 - 2000年3月、2004年4月 - 2005年3月まで)
  • WBS和歌山放送(トヨタがスポンサー降板する1998年4月3日までネット。1998年4月6日 - 2006年3月31日までの間ネット中止。2006年4月 - 2008年9月26日まで再度ネット)[52]

追悼特別番組を放送した局[編集]

TBSラジオと同時ネット
  • 新潟放送
  • 信越放送
  • 北日本放送
  • 静岡放送
  • 和歌山放送
  • 四国放送
  • 高知放送
  • 熊本放送
  • 南日本放送
  • 琉球放送
時差放送
  • 東北放送(2013年1月26日20:00)
  • ラジオ福島(12月30日15:00)[30]
  • 山陽放送(12月30日20:00)
  • RKB毎日放送(12月30日15:30)
  • 大分放送(12月30日11:00)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『TBS50年史』資料編P184に掲載のラジオ番組一覧表より。
  2. ^ a b c d e 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録のラジオ番組データベースより、本番組データカード内情報を参照。
  3. ^ 『TBS50年史』資料編P184掲載の番組情報では、開始当時のスポンサーについて「[トヨタ自動車販売]ほか」と明記(「」内表記は原資料より引用)。同付録であるDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録された本番組のデータカードには、提供スポンサーの欄に「トヨタ自動車、トヨタディーラー」と明記。
  4. ^ 『産経新聞』(東京本社版)2012年12月11日付12版1面掲載『産経抄』より、「毎週日曜日には、翌日の収録に備えて家にこもってきた。」との記述あり。
  5. ^ a b c 「こころ」の語り 全集に 小沢昭一の名物ラジオ、CD発売 - asahi.com(朝日新聞社):テレビ・ラジオ - 映画・音楽・芸能 2008年10月31日付(西正之)
  6. ^ 放送当時、制作会社のウェブサイト内に掲載された制作番組リスト。
  7. ^ 新聞掲載の番組表(参考:『東奥日報』1998年3月30日付朝刊22面掲載「青森放送」番組表)。
  8. ^ a b 森繁久弥追悼特別番組『森繁の重役読本』座談会(2009年12月16日時点のアーカイブ) - 2009年(平成21年)12月25日 TBSラジオ
  9. ^ TBSラジオの年末年始番組(2009年 - 2010年)インターネットアーカイブ2009年12月26日付保存キャッシュ) ※2009年12月25日に放送された「森繁久弥追悼特別番組『森繁の重役読本』座談会」の情報より、出演者の一人である小沢について『「小沢昭一的こころ」という「重役読本」の流れを汲む番組を持つ小沢昭一』と紹介されている。
  10. ^ TBSラジオ番組審議会の記録(2010年1月25日) ※審議対象番組「森繁久弥追悼特別番組『森繁の重役読本』座談会」(2009年12月25日放送)の情報より、出演者の一人である小沢について『「森繁の重役読本」という番組を今も引き継いだ形で放送している「小沢昭一的こころ」の小沢昭一さん』と記述されている。
  11. ^ 主人公の名が「宮坂さん」で固定されている訳ではないが、大半は「宮坂さん」となっている。
  12. ^ 本番組を書籍化した『ラジオのこころ』(2012年、文春新書)内での表記に基づく。
  13. ^ a b 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』のラジオ番組データベースより、「出演者別リスト」→「お」→「小沢昭一」を参照。
  14. ^ 日本コロムビア公式サイト内『小沢昭一の小沢昭一的こころ ゴールドボックス』商品情報ページ
  15. ^ a b 小沢昭一さん死去 個性的脇役、独特の語り口でラジオ番組39年 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 2012年12月11日6時
  16. ^ a b c 朝日新聞デジタル:俳優の小沢昭一さん死去 放浪芸の研究も - おくやみ・訃報(2012年12月10日15時5分)(2013年4月24日時点のアーカイブ
  17. ^ a b c 小沢昭一さん死去 ラジオ番組39年1万回 - 日刊スポーツ(nikkansports.com)芸能ニュース 2012年12月11日7時16分 紙面から
  18. ^ 訃報:小沢昭一さん死去83歳…映画、ラジオ、幅広く活動(2012年12月13日時点のアーカイブ) 毎日新聞 2012年12月10日閲覧
  19. ^ a b 永六輔らがラジオ番組に電話生出演…小沢昭一さん死去(2013年5月1日時点のアーカイブ)芸能:スポーツ報知 2012/12/11-06:00 より、『ゆうゆうワイド』であることは明記していないが、本来TBSラジオで放送予定であった内容を差し替え、永・毒蝮らが電話で生出演したことがつづられている。
  20. ^ 『サンケイスポーツ』(東京本社発行)2012年12月11日付 6版仙 23面より、10日昼に『ゆうゆうワイド』へ永・毒蝮が電話出演したこと、司会である大沢のコメントがつづられている。
  21. ^ TBSラジオ&コミュニケーションズ ニュースリリース(2012年12月10日)(2012年12月13日時点のアーカイブ
  22. ^ TBSラジオ29日に小沢昭一さん追悼番組 - 芸能ニュース : nikkansports.com(2012年12月12日6時8分)
  23. ^ a b c 小沢さんラジオ、ギネス級の放送1万415回(2013年4月27日時点のアーカイブ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ) 2012年12月11日5時 紙面から
  24. ^ TBSラジオが小沢昭一さん追悼番組 生前のハーモニカ演奏 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 2012年12月12日6時
  25. ^ 小沢昭一さんラジオ1万414回で終了 - 芸能ニュース : nikkansports.com(2012年12月15日6時17分)
  26. ^ a b c 「小沢昭一的こころ」放送1万414回で幕 - 芸能ニュース : nikkansports.com(2012年12月14日17時29分)
  27. ^ a b 故・小沢昭一さん的名言「ソープは芸術だ」 - 東スポWeb - 東京スポーツ新聞社 2012年12月14日16時
  28. ^ 『産経新聞』(東京本社版)2012年12月11日付12版1面掲載『産経抄』より、「体調を崩して今年9月に降板するまで、1万355回を数えた。」との記述あり。
  29. ^ 外部リンク(TBSラジオの年末年始番組 2012-2013)を参照。
  30. ^ a b c d e f g h ラジオ福島2012年末特別番組 ※ラジオ福島公式サイトより、『小沢昭一さん追悼特別番組』含む2012年年末特別番組の告知記事。タイトルは「小沢昭一さん追悼特別番組~あいたのこころだ 小沢昭一について考える」と誤記(「」内は、引用・コピペ)。司会の堀井は進行として明記。
  31. ^ 日刊スポーツ(2013年6月3日)
  32. ^ 第50回(2012年度)”. NPO法人放送批評懇談会. 2020年9月29日閲覧。
  33. ^ a b c d e f g h i j CDボックス『小沢昭一の小沢昭一的こころ大全集』商品情報 - Amazon.co.jp
  34. ^ 2009年当時TBSアナウンススクールウェブサイトに掲載されていた講師プロフィール・メッセージ一覧(インターネットアーカイブ2009年5月25日付保存キャッシュ)より、藤田のプロフィールを参照。「今でも人気のラジオ番組「小沢昭一的こころ」の枠コメントは藤田先生のライフワーク!」との記述あり。
  35. ^ 小沢の病気療養中は「小沢昭一の小沢昭一的こころ・傑作選。○○年(西暦)○月放送、○○について考える…」に差し替えていた。小沢死去後のネット配信や一部局向け裏送り放送ではタイトルの前に「追悼放送」のクレジットを入れている
  36. ^ これもテーマ曲同様に数パターンを併用
  37. ^ 反対に、「○○について考える、また来週のこころだァーッ。」「明日の○○について考えるのこころまでェーッ。」等、バリエーションが色々あった。冒頭・終わりに自ら「お相手は小沢昭一です(でした)」と名乗ることは殆どなかった。
  38. ^ 全国放送時代はエンディングトークの前にTBSラジオでは交通情報と関東地方の天気予報を入れていた。ネット局の編成は局により異なるが多くの放送局は放送地域の天気予報を入れていた。
  39. ^ 参考:1998年1月当時の『荒川強啓 デイ・キャッチ!』のプログラム紹介(タイムテーブル) - TBSホームページ(リンク先は、インターネットアーカイブ1998年1月13日付保存キャッシュ)
  40. ^ 毎日放送(MBS)は、企画ネットで同名同一の別内容(→『ニュースハイライト』の項参照)
  41. ^ AMステレオ放送開始時からABCのネット打ち切りまでは、裏送りラインがモノラルだったため、テープを用いてステレオ送出していた
  42. ^ 開始当時の放送日時は、17:45 - 18:00。2001年4月時点の放送日時は、12:20 - 12:29(『TBS50年史』P184より参照)。
  43. ^ 本番組末期の『大沢悠里のゆうゆうワイド』公式ウェブサイト内タイムテーブル。
  44. ^ 晩年にTBSラジオから発行されていた小冊子『954press』に掲載されたタイムテーブル。
  45. ^ 2006年9月までは『加藤雅章の夕刊ほっかいどう』内で16:42頃から、2006年10月からは独立して16:40から。
  46. ^ 『うわさの調査隊』開始後は主に12時台、13時台に放送され、最終期の時間に移動となる直前(2009年10月2日まで)は12:50からの放送だった)
  47. ^ SBSでは2005年10月3日から2006年3月31日までの間ネット中止
  48. ^ 年末年始特別編成組成(12月29日 - 1月3日。但し2009年は、12月28日 - 2010年1月1日)時は16時40分(17時21分)頃から。平日の祝日にプロ野球中日戦デーゲーム中継がある場合は番組も休止となる(2012年度は後述の通り休止にならず、通常通り放送した)。2012年3月30日までは『ごごイチ』内でしていたが、4月2日から約3年ぶり・3時間半繰上げの独立番組となった。
  49. ^ 2005年4月から2007年3月までは16時50分から、4月から2009年10月2日までは14時40分からの放送、10月5日から10月30日まではネット中止していたが、11月からは20時からの放送となった。2010年4月5日から2012年9月28日までの放送時間は、17時 - 17時10分。
  50. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P125の主なラジオ番組一覧表を参照。
  51. ^ 1997年度ナイターオフシーズン(1997年10月6日 - 1998年4月5日)のABCラジオタイムデーブル(インターネットアーカイブ1998年1月15日付保存キャッシュ)を参照。なお、『朝日放送の50年 III 資料集』P125の主なラジオ番組一覧表内本番組データにも、末期の放送時間が明記されている。
  52. ^ 1980年代前半ごろは、自社制作番組の関係で16:25 - 16:40に時差ネットしていた。また、2006年4月から2008年9月の再打ち切りまでは和歌山本局橋本局高野山局のみでの放送であった(それ以外の局は、それぞれの地区のローカル番組を優先して放送)。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

TBSラジオ 平日夕方
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三菱ドライビングポップス
※放送時間の変更とともに10分ずつ繰り上がり
小沢昭一の小沢昭一的こころ