小松原隆二

小松原隆二
小松原隆二
小松原隆二

小松原 隆二(こまつばら たかじ、1875年明治8年)6月2日[1] - 1944年昭和19年)12月17日[2])は、日本教育者文部官僚

経歴[編集]

岡山県出身。1900年(明治33年)、東京帝国大学文科大学英文学科を卒業[1]1902年(明治35年)、第七高等学校造士館教授に就任し、1908年(明治41年)に第八高等学校教授に転じた[1]1922年大正11年)、文部省督学官となり、翌年には姫路高等学校校長に就任した[3]。その後、第八高等学校校長となり、1940年(昭和15年)1月に退官した[3]。退官後は第八高等学校名誉教授の称号を受けた[3]

また同年3月から翌年にかけて、富山高等学校校長事務取扱を務めた[4]

親族[編集]

  • 西野元 - 妻の兄[1]。大蔵次官・貴族院議員・枢密顧問官。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信録 1918.
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1944年12月22日朝刊、2頁。
  3. ^ a b c 人事興信録 1941.
  4. ^ 大衆人事録 1942.

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1942年。 
公職
先代
校長
蜷川竜夫
富山高等学校長事務取扱
1940年 - 1941年
次代
校長
成田秀三