小川大系

小川 大系(おがわ たいけい、1898年明治31年)11月25日 - 1980年昭和55年)8月26日)は日本の彫刻家。本名は小川 孝義(もとよし)。

生涯[編集]

長野県南安曇郡東穂高村(現・安曇野市)の地主の家に生まれる。高等小学校卒業後、農業の傍ら表具師の修業を積み、日本画を独学する。1933年(昭和8年)、35歳で上京し、同郷の山本安曇に才能を認められ、北村西望に入門、彫刻制作に邁進した。翌1934年、「天空を行く」が第15回院展に初入選すると、文部省美術展(文展)に入選を重ね、1941年(昭和16年)文展無鑑査となる。東京大空襲でアトリエが焼失したため、帰郷。戦後は中信美術会委員長、信州美術会(長野県美術展(県展)の団体)運営委員、長野県工芸会会長として活躍し、日展委員、日本彫刻会会員となった。

穂高町の教育委員を務め、荻原碌山の顕彰活動の先頭に立ち、碌山美術館建設に重要な役割を果たした。

穂高駅前「登頂」

1970年制作の「登頂」は穂高駅前に据えられている他、穂高神社狛犬も制作している。

穂高神社の狛犬

平成初期には、穂高町の文化芸術振興の一環として、ふるさと創生事業交付金の一部を使用し、「水馬」「天空をゆく」「鱒投網」「ゆめ」の4作品がブロンズ化された[1]

脚注[編集]

  1. ^ 『一億円で何したの?「信州一億円白書」』1990年 p.112

参考文献[編集]

  • 『長野県美術大事典』 郷土出版社、1986年
  • 『安曇野の美術』安曇野市教育委員会、2021年

外部リンク[編集]