小寺則職 この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2013年12月) 小寺 則職(こでら のりもと) 小寺則職 (室町時代) - 室町時代末期から戦国時代にかけての人物。小寺豊職が赤松政則より偏諱を授かった後の氏名。小寺職治の子で小寺政隆(村職)の父。嘉吉の乱、長禄の変で功績。文明元年(1469年)、置塩城に移った政則より姫路城主を継ぐ。延徳3年(1491年)没。[要検証 – ノート] 小寺則職 (戦国時代) - 戦国時代から安土桃山時代にかけての人物。小寺政隆(村職)の子で小寺政職の父。政隆が永正16年(1519年)に御着城を築いて移った後に姫路城主を継ぐ。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。