家財

家財(かざい)、あるいは家産(かさん)とは、社会における組織単位である家族として所有している財産のことである。家系の代表である家長の管理下にあるものの、家長の特有財産(個人の財産)ではなく、家系の共有財産であり、家業を経営・維持する上で必要なものを指す。農業であれば田畑や山林、農機具など、商業であれば店舗や倉庫、商品などを指す。また、家の祭祀を維持するために必要な物(墓所仏壇位牌)なども「家産」に含まれる場合がある。

また、建造物としての家に付属する調度品や道具一般を指して「家財」と呼称する場合もある。

概要[編集]

日本において家財・家産の概念が確立されるのは、嫡子への単独相続制及び夫の管理下における夫婦同財制が確立された中世後期(室町時代)以後になる。古代の段階においても家長の管理下に財産は存在した(「雑令」家長在条)が、それらの財産は「家長物」と呼称(『令義解』)され、その範囲も「奴婢・雑畜・田宅、及びその余財」と限定的に捉えられ、私有財産の多くは「氏」などの共同体か個人に属していたと考えられている。鎌倉時代の段階では分割相続が主で女子への分割の可能性もあった。分割相続の元では次男以下や庶子が分家して新たな家を生み出す可能性があり、さらに女子への相続は生きているうちは婚姻先の財産になることはなく、没後に子孫を通じて婚姻先の財産に合した。その一方で、職の体系の確立によって財産の中には所職作職などの様々な「職」の形式に転換されるものが出現するが、「職」は不可分性が強く分割相続には馴染まない形態であった。

鎌倉時代後期になると開発や寄進恩領名目での所領の拡大はほぼ不可能となり、分割相続はただちに財産の縮小、家業の継続困難をもたらした。また、細分化が困難である職の体系の拡大もこの傾向を拡大させた。このため、女子や次男以下及び庶子への財産分割の規制が始まり、一期分などの制約を経て単独相続制の確立に至る。その結果、特殊事情によって分家が許された場合を例外として父親から嫡子への家財・家産の継承が一体となって行われるようになった。江戸時代には家財・家産概念が一般化し、近代家制度及び明治民法によって家督と表裏一体のものとして法的に裏付けられた。ただし、その内容は身分・階層によって大きく異なり、武士などの支配者層や家持名主庄屋などの富裕な町人層あるいは明治以後の上流階層においては家産の継承が行われた。こうした階層では必要に応じて分家が行われ、それに伴って家産の一部を分割する分家財産分与も行われて本家と分家の協力関係の維持が努められた。これに対して借屋人小作人あるいは明治以下の中下流階層においては継承すべき家産が存在せず、身の回りにある調度品や道具だけが家財であった。こうした階層では経済変動や失業、災害によって困窮して破産による一家離散や身代限などの境遇に追い込まれることも珍しくは無かった。

太平洋戦争後の日本国憲法制定とそれに伴う法制改革に伴って、家系の財産としての家財・家産は消滅し、単に個々の家庭に属する財産を指す呼称となった。

参考文献[編集]

  • 坂田聡「家産/家財」『歴史学事典 10 身分と共同体』(弘文堂、2003年) ISBN 978-4-335-21040-2
  • 高橋秀樹/松本四郎「家財」(『日本史大事典 2』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13102-4
  • 中野卓「家産」(『世界歴史大事典 4』(教育出版センター、1991年) ISBN 978-4-7632-4003-3

関連項目[編集]