家田佳子

いえだ よしこ
家田 佳子
本名
生年月日 (1941-07-12) 1941年7月12日(82歳)
出生地 日本の旗 日本 静岡県静岡市
身長 160.6cm
職業女優、元モデル
ジャンル 劇映画時代劇現代劇)、テレビ映画
活動期間 1957年 - 1965年
主な作品
東京の休日
黒い画集 あるサラリーマンの証言
テンプレートを表示

家田 佳子(いえだ よしこ、1941年[注釈 1]7月12日 - )は、日本の元女優、元モデルである[2][3][4]。本名同じ[2][3][4]

来歴・人物[編集]

1941年(昭和16年)7月12日静岡県静岡市に生まれる[2][3][4]

青山学院中等部・高等部に進学する傍ら、舞踊家の貝谷八百子が創設した貝谷バレエ団(現在の貝谷バレエアカデミー)に所属し、4年間舞踊を修得していたが、1957年(昭和32年)5月、同校高等部在学中に実父と懇意だった劇作家の内村直也にスカウトされ、東宝に入社する[1][2][3][4][5]。同年11月5日に公開された鈴木英夫監督映画『脱獄囚』で池部良と共演し、映画デビューを果たす[1][2][3][4][5]。以後、同社の新進女優として、ジャンルを問わず多くの作品に脇役、時には準主役として出演した[1][3]

1961年(昭和36年)6月、東宝を退社[3][4][5]。同年11月、女優の岸恵子の従姉の夫にあたる若槻繁が創設した文芸プロダクションにんじんくらぶに加入する[3][4][5]。1962年(昭和37年)10月7日に全国農村映画協会(全農映)によって製作・公開された山本薩夫監督映画『乳房を抱く娘たち』など、主に独立プロダクション製作の映画作品やテレビドラマに出演したほか、雑誌等のモデルとしても活躍した[3][4][5]

ところが、1965年(昭和40年)2月27日に公開された小林正樹監督映画『怪談』に脇役出演したのを最後に、にんじんくらぶは同作の興行不振により同年末に事実上解散・分裂した[3][4]。同社解散以降の家田の消息はまったく伝えられておらず、福田恆存らによって新たに結成された劇団欅の旗揚げに参加した様子も無い[3][4]。存命であれば、現在満82歳である。

出演作品[編集]

東宝[編集]

特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。

フリーランス[編集]

テレビ映画[編集]

  • ありちゃんのパパ先生(1959・60年、CX
  • 純愛シリーズ 第31話「花に寄せて」(1962年、TBS
  • 海はそよ風(1962年、NHK)[5]
  • 青春の群像(1963年、NTV
  • 波紋(1963年、NHK)
  • 黒い炎(1963年、NHK)
  • パパと歩こう(1963年、TBS)
  • 娘の結婚(NTV)
    • 第7話「父と芋と花と」(1963年)
    • 第24話「愛すればこそ」(1964年)
  • 現代家族(1964年、NHK)
  • おかあさん 第234話「おふくろの特ダネ」(1964年、TBS)
  • 夫婦百景 第323話「五十年目の離婚」(1964年、NTV)
  • 夕日と拳銃(1964年、TBS)
  • 紅匂う 前編・後編(1964年、NHK)
  • 家族会議(1964・65年、NTV)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1940年説もあり[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『芸能画報 6』サン出版社、1957年、42頁。 
  2. ^ a b c d e 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年、75頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画俳優全集 女優編』キネマ旬報社、1980年、58頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『芸能人物事典 明治大正昭和』日外アソシエーツ、1998年、34頁。 
  5. ^ a b c d e f 『芸能画報 12』サン出版社、1962年、42頁。 
  6. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

外部リンク[編集]