実順

実順(じつじゅん、明応3年(1494年)- 永正15年3月11日1518年4月20日)は戦国時代浄土真宗西証寺住持。本願寺第8世法主蓮如の11男。母は畠山政栄の娘蓮能。妻は蓮淳の娘妙祐。子に実真、実従室。は兼性。右衛門督。

生涯[編集]

明応3年(1494年)、本願寺8代目法主蓮如と5番目の夫人蓮能尼との間に生まれる。幼少期は大坂御坊に寄り母蓮能尼の元で養育された。永正2年(1505年)に出家し、河内西証寺の住持に任じられる。

しかし、翌永正3年(1506年)の河内国錯乱では細川政元に協力するべく、9代目法主実如(蓮如5男)が発した動員令に対して河内摂津の門徒らが反発して、大坂にいた兄実賢(蓮如9男)を擁立した事件に巻き込まれ、実如の命を受けた下間頼慶に捕縛された。

乱後、実順も実賢や蓮能尼母子に連座する形で破門され、三年間浪々の身となって京都に住んでいたが、永正6年(1509年)に曇華院門跡の仲介によって破門を解かれ復帰し、再び西証寺住持の座に就いた。永正15年(1518年)3月11日没。享年25。

死後、西証寺の住持を継いだのは長男実真であったが、実真は享禄2年(1529年)にわずか13歳で早世し実順の血統は断絶した。その為、西証寺は実順の岳父であった異母兄蓮淳(蓮如6男)が住持として入る事となる。

参考文献[編集]

  • 平松令三『真宗人名辞典』法蔵館、1999年。ISBN 4831870153