安田庄司 (新聞経営者)

安田 庄司(やすだ しょうじ、1895年1月25日 - 1955年2月9日)は、日本新聞記者新聞経営者滋賀県出身。読売新聞社元代表取締役主幹・副社長兼編集主幹。大阪読売新聞社元取締役会長。日本プロ野球セントラル・リーグ初代会長。レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章受章。

人物・経歴[編集]

滋賀県出身。上智大学中退。1923年、東京毎夕新聞に入社。その後、国民新聞時事新報を経て、1930年、読売新聞社に入社。商工省農林省詰めの経済部記者として活躍[1]。同社経済部長、編集局長等を経て、1942年、退社[1]

1943年、読売新聞社に再入社し、副主筆に就任。1945年の終戦で辞任[1]

1946年、読売争議収拾のため再々入社。編集局顧問、編集局長、取締役等を経て、1949年、同社副社長兼編集主幹に就任[1]。1951年、同社代表取締役、1952年、同社主幹に就任。同年、大阪読売新聞社取締役会長に就任[2]

1949年、プロ野球再編問題のために、日本野球連盟が分裂し発足した日本プロ野球セントラル・リーグの初代会長に就任[2]

1953年、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受章[1]

1955年、死去[2]

その他の役職
先代
セントラル・リーグ会長
初代:1949 - 1951
次代
松島鹿夫

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e コトバンク 20世紀日本人名事典の解説 安田 庄司 コトバンク 20世紀日本人名事典 2018年3月11日閲覧
  2. ^ a b c コトバンク 20世紀日本人名事典+Plusの解説 安田庄司 コトバンク 20世紀日本人名事典+Plus 2018年3月11日閲覧