守田勘彌

丸に中が瓜実の片喰
喜の字丸
多磨霊園にある守田家の墓

森田/守田 勘彌(もりた かんや、新字体:勘弥)は、歌舞伎役者の名跡。名字は十一代目までが森田、以後が守田屋号喜の字屋定紋は丸に中が瓜実の片喰、替紋は喜の字丸。

当初「森田勘彌」は江戸三座の一つ・森田座(→守田座)の座元(座を主宰し芝居小屋を経営する者)の名跡だったが、後代になると座元が役者に転じたり、逆に役者が座元を兼ねたりすることが多くなる。そして明治末年に守田座改め新富座の経営権が松竹合名の手に渡ると、「守田勘彌」は単に役者の名跡となった。

  • 俗に初代 森田勘彌
    • 摂津の人、「うなぎ太郎兵衛」と呼ばれた森田太郎兵衛、????-1665?。万治三年 (1660) に木挽町五丁目に森田座をあげる。
    • 森田太郎兵衛 → 俗に初代森田勘彌 → 森田友楽(隠居名)