大須賀允

大須賀 允
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県足利市
生年月日 (1980-03-08) 1980年3月8日(44歳)
身長
体重
186 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2001年 ドラフト6巡目
初出場 2002年8月20日
最終出場 2007年6月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。 群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。

在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。

同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。上級生からは4番を打ち、3年の大学選手権では初戦で相木崇福岡大)から本塁打を放つなどの活躍で準優勝。大学通算打率.326、20本塁打を記録、最多打点、本塁打各1回、ベストナイン4回受賞。1999年にはシドニー五輪代表の候補にも選出された。

広島時代もチームメイトの石原慶幸は同大学の同期であった。

プロ入り後[編集]

2001年にドラフト6巡目指名で読売ジャイアンツに入団。

2004年には一軍の試合に出場し、東京ドーム坂元弥太郎からプロ初ホームランを放つも、その後は一軍出場の無いまま、2006年10月2日巨人より戦力外通告を受けた。その後広島の入団テストに合格し入団。

2007年は自身初の開幕一軍メンバーに入り、16試合に出場したが、打率は.150と低迷した。

2008年は一軍出場が無く、10月に球団より戦力外通告を受ける。現役続行を希望し同年の12球団合同トライアウトに参加するも、獲得する球団は現れず現役引退を決意。今後は、パソコンを勉強し、野球に関する事業を始める予定と語った[1]

引退後[編集]

2009年1月、元プロ野球選手の小早川幸二代表取締役を務める通信企業会社「K-アシスト」に入社した[2]

2012年10月1日、物流・倉庫業のダイワコーポレーションへ転職。現在は同社の横浜本牧営業所でサブリーダーを務めている[3]

2020年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。神奈川エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[4]

人物[編集]

広島時代は、移籍に伴い妻子を東京に残して単身赴任生活をしていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2002 巨人 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2004 17 6 6 3 2 1 0 1 6 2 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .333 .333 1.000 1.333
2007 広島 16 23 20 2 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 2 0 1 6 0 .150 .261 .150 .411
通算:3年 34 30 27 5 5 1 0 1 9 3 0 0 0 0 2 0 1 9 0 .185 .267 .333 .600

記録[編集]

背番号[編集]

  • 53 (2002年 - 2006年)
  • 52 (2007年 - 2008年)

脚注[編集]

  1. ^ パソコン勉強し野球に関する事業開始へ(広島 大須賀允内野手)”. デイリースポーツ (2008年12月28日). 2011年5月18日閲覧。
  2. ^ 元巨人、広島・大須賀允「(株)K-アシスト」/引退後記”. 日刊スポーツ (2010年9月23日). 2011年5月18日閲覧。
  3. ^ 曽根和光BLOG「頑張れ、大須賀君!」
  4. ^ 読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]