大阪護國神社

大阪護國神社
大阪護國神社
所在地 大阪府大阪市住之江区南加賀屋1丁目1-77
位置 北緯34度36分36.5秒 東経135度28分26.1秒 / 北緯34.610139度 東経135.473917度 / 34.610139; 135.473917座標: 北緯34度36分36.5秒 東経135度28分26.1秒 / 北緯34.610139度 東経135.473917度 / 34.610139; 135.473917
主祭神 大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊10万5千余
社格 内務大臣指定護国神社・別表神社
創建 1940年昭和15年)
例祭 5月20日(春季)・10月20日(秋季)
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大阪護國神社(おおさかごこくじんじゃ)は、大阪市住之江区にある神社護国神社)。大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊10万5千余を祀っており、祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社福岡縣護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁別表神社

住之江公園の南西に鎮座し、新なにわ筋を挟んで住之江競艇場に隣接している。住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。

歴史[編集]

大阪府では、1871年明治4年)4月10日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に招魂社が創建されたのが最初である。しかし、招魂祭は、西南戦争後は陸軍の拠点である大坂城内で、1883年(明治16年)以降は中之島に建立された明治紀念標[注釈 1]前で、1900年(明治33年)以降は城東練兵場[注釈 2]で行われていた。なお、正確な時期は不明であるが、真田山の招魂社は1918年大正7年)までには廃絶されている。

招魂祭が長らく社前で行われなくなっていたことや、支那事変日中戦争)勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、1938年昭和13年)に大阪府知事が奉賛会長として護国神社造営奉賛会を結成し、創建予定地である住之江公園の南西の低湿地を、府民のべ約36万人が勤労奉仕で約2年かけて埋め立てて、内務大臣指定護國神社として創建された[1]1940年(昭和15年)5月4日に鎮座祭が行われたが、人材・資材不足のため正式な社殿の建築をすることができず、仮社殿での鎮座であった。その後に正式な社殿の造営を行う予定であったが、大東亜戦争の激化や敗戦後の混乱により着工出来ないままであった。

戦後、GHQによる神道指令の影響下における存続対策として仁徳天皇を祀り、「浪速宮(なにわぐう)」と称していた[2]。また、神社本庁別表神社に加列されている。

社名は、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年(昭和27年)に大阪護國神社に復称している[2]。こうした経緯から奉安殿に仁徳天皇を、その相殿に東郷平八郎を遺髪と共に祀るようになった。

1960年(昭和35年)に造営奉賛会が結成され、1963年(昭和38年)春に社殿が竣工し、5月29日に遷座祭が行われた[1]1970年(昭和45年)7月15日昭和天皇香淳皇后が親拝され、1978年(昭和53年)5月31日には皇太子皇太子妃(現:明仁上皇上皇后美智子)が参拝されている。

2009年平成21年)10月24日特攻勇士の像が建立された。

祭神[編集]

  • 主祭神 - 大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊10万5千余(正確には105,665柱)[3]

神官・諸活動[編集]

  • 元宮司の柳澤忠麿は日本会議大阪運営委員長、神道政治連盟大阪府本部長を務めていた[4]。2018年(平成30年)3月31日、柳澤は死去した[5]
  • 2018年(平成30年)、柳澤の死去に伴い、日本会議大阪南河内支部長の南坊城充興が宮司に就任した[6][7]
  • 2021年(令和3年)4月、藤江正鎮が宮司に就任。2022年(令和4年)9月中旬、共同通信やNHKなど8つの報道機関が実施した安倍晋三元首相の国葬に関する世論調査・アンケート調査ではいずれも「反対」が「賛成」を上回った[8][9][10]。これを受けて藤江は自由民主党大阪府連などに問い合わせ、府内に弔意を示す場がないことを知った。9月26日、大阪護國神社藤江は公式Twitterに献花台を翌日に置くことを通知。Twitterで寄せられた「いいね」は2万件を超えた。同月27日、藤江は産経新聞の取材に応じ、「国葬反対の声ばかりが取り上げられているが、『あれだけ功績があるのに』という憤りがあった。(多くの弔問に)安倍さんが喜んでくれているとうれしい」と述べた[11][12][13]
  • 2023年(令和5年)3月26日、板垣退助先生顕彰会が主催する「安倍晋三元総理を偲ぶ慰霊祭」の会場となった[13]

境内[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 明治紀念標は1902年(明治35年)に大手前の大阪偕行社敷地内に移設され、1943年昭和18年)に供出されており、現存しない。
  2. ^ 現在の大阪市城東区森之宮大阪砲兵工廠の拡張に伴い、1940年(昭和15年)に中河内郡盾津町へ移転した。
  3. ^ 2022年令和4年)9月に行われた安倍晋三元総理を偲ぶ「国葬」において寄せられた献花を堆肥として栽培された向日葵。(境内の説明板による)

出典[編集]

  1. ^ a b 御祭神・創建・沿革”. 大阪護國神社. 2019年1月7日閲覧。
  2. ^ a b ご由緒”. 大阪護國神社. 2019年1月7日閲覧。
  3. ^ 大阪護國神社の徹底取材レポ!ご利益・御朱印・お守り
  4. ^ 『清政』35号”. 神道政治連盟京都府本部 (2003年12月16日). 2024年3月4日閲覧。
  5. ^ 故 柳澤忠麿 海励会会長 通夜式・告別式 (2018年4月2、3日)”. 海上自衛隊を励ます会. 2024年3月4日閲覧。
  6. ^ 日本の息吹 [大阪版] ~ 一人がひとりを! ~  第178号 平成26年9月号”. 日本会議大阪 (2014年8月25日). 2024年3月4日閲覧。
  7. ^ 日本の息吹[大阪版]~一人がひとりを!~ 第223号 平成30年10月号”. 日本会議大阪 (2018年9月24日). 2024年3月4日閲覧。
  8. ^ 世論調査(共同通信データ)”. 東京新聞 (2022年9月22日). 2022年9月24日閲覧。
  9. ^ 国葬「評価しない」57% 旧統一教会への対応は? NHK世論調査”. NHK政治マガジン. 日本放送協会 (2022年9月13日). 2022年9月30日閲覧。
  10. ^ “安倍元首相の国葬賛否、反対56% 8月比で賛成減る 朝日世論調査”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2022年9月12日). https://digital.asahi.com/articles/ASQ9D3GNCQ9DUZPS002.html 2022年9月16日閲覧。 
  11. ^ 『大阪護国神社にも献花台、多くの人が花手向ける…涙流す人も』”. 讀賣新聞オンライン (2022年9月27日). 2023年2月11日閲覧。
  12. ^ 『大阪護国神社に献花台「感謝伝えたい」ツイッターで反響も』”. 産経新聞オンライン (2022年9月27日). 2023年2月11日閲覧。
  13. ^ a b 【浪速風】暴力で失った無念”. 産経新聞 (2023年3月28日). 2024年3月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]