大貫昌幸

大貫 昌幸(おおぬき まさゆき、1964年 - 1993年1月26日)は、日本のゲームデザイナー。ゲーム製作集団ORGの創設者。テーブルトークRPGの黎明期を支えた人物の一人として知られている。

経歴[編集]

父は「新・細うで繁盛記」、「おからの華」など花登筺原作のテレビドラマのプロデューサーの大貫伊佐雄(他にプラレス3四郎のプロデューサーも務めており、テレビアニメ版が不振だったことがしばしばネタにされていた[1])、学生時代にゲームサークル「ファースト・ディビジョン」に所属。その頃から旧シミュレイター誌などにウォー・シミュレーションゲーム関連やTRPGの記事を書いており、『日本機動部隊2』[2]などのゲームデザインも行っていた。特に、旧シミュレイター誌では、ツクダホビー社製のアニメを題材としたウォー・シミュレーションゲームの紹介を行い、その地位向上に尽力した。(ツクダホビー社のガンダムを皮切りとするアニメを題材とするシミュレーションボードゲームは、商業的な成功を収め愛好者も多かったにもかかわらず、当時は、ヒストリカル(史実)ジャンルに比べて、本格的な紹介や研究がされなかった背景があった[要出典]。大貫自身、後に「アニメを再現する」コンセプトのTRPG「ワープス」をプロデュースする)

1985年にゲームクリエイター集団ORGを立ち上げ。株式会社新和がダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(第四版。俗にいう『赤箱』版である)の翻訳販売を行う際、翻訳者として抜擢された。ORGは、オフィシャルD&Dマガジンで「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」のサポートを行う一方、オリジナルゲームデザインや、自社製品の展開も熱心に行った。

その後、マル勝ファミコン誌でRPG風の読者参加企画『ダブルムーン伝説』を連載。ドラゴンクエスト以降のファミコンRPGの人気にあやかった企画だったがこの連載が人気を博し、ダブルムーン伝説のテーブルトークRPG化も大貫の手により成される。 当時のマル勝ファミコン読者の多くがこの連載からテーブルトークRPGの世界に入っていき、ダブルムーン伝説は『ロードス島戦記』と並ぶ、テーブルトークRPG黎明期の功労者として現在でも名高い[要出典]。なお大貫は、この時期、PCゲーム誌「マイコンBASICマガジン」でもTRPGの紹介記事の連載を行っていた。

ファンタジーのメタルフィギュアの愛好家としても知られ、様々な雑誌でメタルフィギュアについての紹介を行い、ORGを通じての輸入販売も実行した。

ゲームデザイン、雑誌記事の連載、読者参加企画の主催など多忙を極める中で、1993年1月26日に虚血性心不全のため逝去。ダブルムーン伝説第3部を展開していた最中での急死であった。角川書店はこの当時、内紛が勃発しており、混乱状態となっていた。

1994年、有志により遊戯に関する研究論文を中心とする遺稿を集めた「歳月忽巳晩 大貫昌幸遺稿追悼輯」が刊行されている。

主な作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^  シミュレーター16号 p67 下段17~21行 
  2. ^  本人死亡により未発表。後に国際通信社から発売された同名のゲームとは異なる 

関連項目[編集]