大江健三郎

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大江 健三郎
(おおえ けんざぶろう)
Paris - Salon du livre 2012 - Kenzaburō Ōe - 003.jpg
大江健三郎(2012年、パリにて)
誕生 (1935-01-31) 1935年1月31日(84歳)
日本の旗 日本愛媛県喜多郡大瀬村
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 文学士(東京大学・1959年
最終学歴 東京大学文学部仏文科卒業
活動期間 1957年 -
ジャンル 小説評論随筆
主題 政治核時代・障害者との共生・故郷の伝承・祈り
代表作飼育』(1958年)
芽むしり仔撃ち』(1958年)
個人的な体験』(1964年)
万延元年のフットボール』(1967年)
洪水はわが魂に及び』(1973年)
同時代ゲーム』(1979年)
新しい人よ眼ざめよ』(1983年)
懐かしい年への手紙』(1987年)
燃えあがる緑の木』(1993年 - 1995年)
取り替え子(チェンジリング)』(2000年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1958年)
新潮社文学賞(1964年)
谷崎潤一郎賞(1967年)
野間文芸賞(1973年)
読売文学賞(1983年)
大佛次郎賞(1983年)
川端康成文学賞(1984年)
伊藤整文学賞(1990年)
ノーベル文学賞(1994年)
朝日賞(1995年)
レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)(2002年)
デビュー作 『奇妙な仕事』(1957年)
配偶者 大江ゆかり
子供 大江光長男
親族 伊丹万作(岳父)・伊丹十三(義兄)
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1994年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [1][6]

大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年1月31日 - )は、日本小説家昭和中期から平成にかけて活躍した現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。1994年ノーベル文学賞受賞。 愛媛県出身。

概要[編集]

東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、短編「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトルの実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後の青年の閉塞感を描き、新鋭作家と目された。1967年、代表作とされる『万延元年のフットボール』により最年少で谷崎賞を受賞。現代文学の旗手と位置づけられるようになる。

その後、バシュラールの想像力論やバフチンロシア・フォルマリズムの理論などを参照しながら独自の文学を作り上げていく。核兵器国家主義などの社会・政治的な問題、知的障害者である長男(作曲家の大江光)との共生の体験、故郷である四国の森の谷間の村の歴史や伝承、夥しい読書から導かれた世界観、これらの主題を重ね合わせた作品世界を作り上げた。

1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。

主な作品に『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』『取り替え子(チェンジリング)』など。

戦後民主主義の支持者として社会参加の意識が強く、国内外における問題や事件への発言を積極的に行っている。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1935年1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。両親、兄二人、姉二人、弟一人、妹一人の9人家族であった。大瀬村は森に囲まれた谷間の村で、のちの大江の文学世界の形成に大きく関わることになる。1941年、大瀬小学校に入学する。この年に太平洋戦争が始まり、5年生の夏まで続いた。1944年、父親が心臓麻痺で急死している。1947年、大瀬中学校入学する。この年新憲法が施行され、「戦後民主主義」に立脚した自身の思想を形成するうえで多大な影響を受けた。1950年、愛媛県立内子高等学校に入学するも、いじめを原因に翌年愛媛県立松山東高等学校へ転校する。高校時代は石川淳小林秀雄渡辺一夫花田清輝などを愛読した。松山東高校では文芸部に所属し部誌『掌上』を編集、自身の詩や評論を掲載した。同校において同級生だった伊丹十三と親交を結ぶ。

1953年に上京し、浪人生として予備校に通ったのち、1954年東京大学教養学部文科二類(現在の文科III類)に入学する。演劇脚本や短編の執筆を始める。1955年に『文藝』第三回全国学生小説コンクールで小説「優しい人たち」が入選佳作、1956年に『文藝』第五回全国学生小説コンクールで小説「火葬のあと」が選外佳作となる。[2]。教養学部学友会機関紙に小説「火山」を掲載し銀杏並木賞を受賞する。

このころサルトルパスカルカミュフォークナーノーマン・メイラー安部公房などを愛読、とりわけにサルトルに関心を抱く。1956年、文学部フランス文学科に進み、かねてから著作を愛読し私淑していた渡辺一夫に直接師事する。学生演劇の戯曲「獣たちの声」(奇妙な仕事」の原案)で創作戯曲コンクールに入選する。

芥川賞作家として ─ 芽むしり仔撃ち、個人的な体験[編集]

1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載され、『毎日新聞』で平野謙の激賞を受ける。これを契機として同年『文學界』に短編「死者の奢り」を発表し、学生作家としてデビューする。その後、続々と短編を各文芸誌に発表する。「死者の奢り」は第38回芥川賞候補となる。

翌1958年、自身初の長編小説である『芽むしり仔撃ち』を発表する。大江の故郷の村をモデルにした閉ざされた山村を舞台にして、社会から阻害された感化院の少年たちの束の間の自由を新鮮な文体で描いた。同年短編「飼育」で第39回芥川賞を23歳で受賞する。1956年の石原慎太郎に続いて当時最年少タイでの受賞であった。同年に石原、江藤淳谷川俊太郎浅利慶太ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保改正に反対する。

1959年、東京大学を卒業する。卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」であった。同年書き下ろし長編『われらの時代』を刊行する。この作品から現代青年の虚無感、閉塞感と歪んだセクシュアリティを主題として前面に押し出すようになる。痛烈な批判を受けたものの、この作品によって最初の作風転換を遂げる。この年成城に転居し、近所に住むに武満徹と親交がはじまる。1960年、伊丹十三の妹のゆかりと結婚する。

1961年「政治と性」を主題とした作品「セヴンティーン」と続編「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」を発表する。浅沼稲次郎暗殺事件に触発されて、オナニストの青年が天皇との合一の夢想に陶酔して右翼テロリストとなる様を描いたが、同じ頃に発表された深沢七郎の『風流夢譚』と同様に右翼団体からの脅迫に晒された(このため「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」はその後の単行本に収められていなかったが、2018年『大江健三郎全作品3』で遂に「セヴンティーン」と併せて収録された)。

1963年、長男のが頭蓋骨異常のため知的障害を持って誕生する。重い障害を持つ子供の誕生は、戦後社会に希望を持てない青年と、その社会に対する絶望的な反抗や呪詛を描いてきた作家に精神的な転機をもたらした。1964年、光の誕生をうけての作品『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞を受賞する。知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親「鳥(バード)」が、様々な精神遍歴の末、現実を受容して子供と共に生きる決意をするまでの過程を描いた作品である。同年、広島に何度も訪れた体験や、原水爆禁止世界大会に参加した体験を元にルポルタージュ『ヒロシマ・ノート』の連載を開始する。これ以降の大江は、障害を持つ子供との共生の体験、核時代における人間の危機、この両輪を自身の主題として深めていく。

国際的な作家へ ─ 万延元年のフットボール、同時代ゲーム[編集]

大江健三郎(2008年)

1967年、30代最初の長編として『万延元年のフットボール』を発表し、最年少(2019年現在破られていない)で第3回谷崎潤一郎賞を受賞する。遣米使節が渡航した年である万延元年(1860年)に四国の森の奥の村で起こった一揆と百年後の安保闘争とを重ね合わせて、日本の近代化を概括しながら、閉ざされた山村という閉鎖的情況における祝祭的な暴動、その中における兄弟の愛憎や家族の恢復の物語を描き大きな反響を呼んだ。今日では大江の代表作・最高傑作とされることも多い。1968年、新宿の紀伊國屋ホールにて月例の連続講演を一年間行う 。これは『核時代の想像力』(1970年)としてまとめられた。もともとサルトルやバシュラールによってその意識を深められた「想像力」の概念は、この前後から大江にとって非常に大きな主題ないしは手法となった。1968年『個人的な体験』の英訳 ”A Personal Matter” が出版されている。

1971年に発表した二つの中篇「みずから我が涙をぬぐいたまう日」「月の男(ムーン・マン)」では、前年の三島由紀夫の自決を受けて天皇制を批判的に問い直すことを主題とした。1973年には終末論的なヴィジョンを背景とした活劇である『洪水はわが魂に及び』を発表し、第26回野間文芸賞を受賞している。次作『ピンチランナー調書』(1976年)はグロテスクなユーモアを持って描かれたSFで、天皇制や核の問題を考察しつつ、リアリズムを超越した世界を描き始める。この頃から、アジア・アフリカ作家会議(1970年、1973年)などの機会を通じて海外の作家との交流を持つようになった。1974年『万延元年のフットボール』の英訳 “The Silent Cry “が出版されている。

1975年、大学時代の恩師で、知的、精神的に影響の大きかった渡辺一夫が肺癌で死去し、大きなショックを受けている。立ち直りのきっかけを求めて1976年メキシコに渡り、コレヒオ・デ・メヒコの客員教授として日本の戦後思想史の講座を受け持つ。現地でオクタビオ・パスフアン・ルルフォ、メキシコに居を構えていたガブリエル・ガルシア=マルケスラテン・アメリカの文学者と知り合う。[3]この頃、ちょうど日本に紹介され始めたバフチンロシア・フォルマリズムなどの思想潮流や山口昌男の理論などから学び、新しい小説の方法論(『小説の方法』1978年)を獲得している。1979年に発表された大著『同時代ゲーム』において故郷の森の谷間の「村=国家=小宇宙」の神話や歴史を複雑な叙述方法で描いた。自らの文学のトポスを想像力豊かにコスモロジカルに描いたもので、作家は自作の中でも重要なものと位置づけており、ここで提示された森の谷間の村の神話や歴史は以降の大江の諸作品のバックグラウンドとなる。

ノーベル賞受賞まで ─ 新しい人よ眼ざめよ、懐かしい年への手紙[編集]

1982年、連作短編集『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』を発表する。「雨の木」という意味深く多義的な暗喩を底流にして危機にある男女の生き死にを描き、翌1983年に第34回読売文学賞受賞する。友人である武満徹が連作第一作「頭のいい「雨の木」」に触発されて「(3人の打楽器奏者のための)雨の樹」を作曲しており、その初演を受けて連作第二作で表題作となる「「雨の木」を聴く女たち」が執筆されている。(第二作の冒頭には、そのコンサートの場面が出てくる。)この頃、虚実皮膜の擬似私小説、先行文学作品を取りあげて自作の主題に絡める(本作においてはマルカム・ラウリーである)といったスタイルが生まれ、その後の多くの作品で踏襲されることになる。

1983年の連作短編集『新しい人よ眼ざめよ』では、ブレイクの詩を引用し、ブレイクのテクストや、それに関連する研究を綿密に読むことで導かれた思考を、大江の知的障害をもつ子供の言葉と重ね合わせて、静謐な筆致で私小説的に日々の生活を描き、第10回大佛次郎賞を受賞する。ここで女性詩人でブレイク研究者キャスリーン・レインを大きな導き手としてネオ・プラトニズムに触れ、大江文学中期のテーマである「魂の問題」「祈り」「再生」といった神秘的ないしは宗教的な問題を掘り下げ始めるようになった。同年、カリフォルニア大学バークレー校に共同研究員として滞在している。

1984年、磯崎新大岡信武満徹中村雄二郎山口昌男とともに編集同人となり、季刊誌『へるめす』を創刊した。ニュー・アカデミズム全盛の時代の新しいスタイルの知への興味、関心に応えるような「文化の総合雑誌」を目指し1994年まで編集同人をつとめた(『M/Tと森のフシギの物語』『キルプの軍団』『治療塔』『治療塔惑星』は同誌に連載された)。1985年、連合赤軍事件を文学的に捉え返す連作短編集『河馬に嚙まれる』を発表する。表題作で第11回川端康成文学賞を受賞している。同年『万延元年のフットボール』のフランス語訳 ”Le jeu du siècle“ がガリマール社より刊行されている。

1986年には『同時代ゲーム』の世界を、別の叙述方法と文体で平易にリライトした『M/Tと森のフシギの物語』を発表する。これは『同時代ゲーム』の世界を1980年代からのテーマである「魂の問題」に接続する試みでもあった。1987年にはダンテの『神曲』を下敷きにした虚実綯い交ぜの擬似的な自伝『懐かしい年への手紙』を発表する。『同時代ゲーム』以来の原稿用紙1,000枚の大作で、『芽むしり仔撃ち』以来描き続けてきた森の谷間の小宇宙を統合する試みであった。[4]この時期、自身の仕事の総括的なことを連続しておこなったことになる。前者は1989年に “M/T et l'histoire des merveilles de la forêt” のタイトルで、後者は1993年に “Lettres aux années de nostalgie” のタイトルで、フランス語訳がガリマール社より刊行された。

1989年の『人生の親戚』では長編で初めて女性を主人公とし[5]、子供を自殺で失った女性の悲嘆とその乗り越えを描いて第1回伊藤整文学賞を受賞している。1989年から1990年にかけて発表された『治療塔』(連載時のタイトル『再会、あるいはラスト・ピース』を改題)とその続編の『治療塔惑星』では、広義のSFの枠組みの中でイェーツの詩を引きながら核時代の危機と人類救済の主題を描いている。1993年9月より『新潮』において三部からなる自身最長の長編『燃えあがる緑の木』の連載を開始する。『懐かしい年への手紙』の後日譚として、四国の森の中の谷間の村を舞台としたシンクレティックな教会の勃興から瓦解に至るまでのの過程を描き、イェーツアウグスティヌスシモーヌ・ヴェイユなどを引いての考察で80年代初頭から追及してきた「魂の救済」の主題を突きつめた。連載当時はこれを「最後の小説」としていた。

『燃えあがる緑の木』連載中の1994年「詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [6](who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」という理由でノーベル文学賞を受賞する。川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者であった。ストックホルムで行われた受賞講演は川端の「美しい日本の私」をもじった「あいまいな日本の私」というものであった。ここで大江は、川端の講演は、きわめてvague(あいまい、ぼんやりした)であり、閉じた神秘主義であるとし、自分は日本をambiguous(あいまい、両義的)な国として捉えると述べた。日本は、開国以来、伝統的日本と西欧化の両極に引き裂かれた国であるとの見方を示し、小説家としての自分の仕事は、ユマニスムの精神にたって「言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒す」ことであると述べた。[7]

小説執筆の一旦の終了をうけて1996年より新潮社より『大江健三郎小説』(10巻)が刊行開始された。これは全集ではなく、作者が吟味し基準にかなうもののみが収録された。長編でいうと『われらの時代』『遅れてきた青年』『日常生活の冒険』などは収録されなかった。

後期の仕事(レイト・ワーク)─ 取り替え子、水死[編集]

大江健三郎、2005年

1995年に「最後の小説」としていた『燃えあがる緑の木』が完結し、小説執筆をやめてスピノザの研究に取り組むと述べていたが、1996年の親友の武満徹の病死を契機に考えを変え、告別式の弔辞において新作を捧げるとし、1999年に『宙返り』を発表する。テロを防ぐために一度「棄教」した教祖「師匠(パトロン)」らによる、殺人などの波乱の中での教団の再建を描いている。これ以降の創作活動は作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と称している。

2000年、義兄の伊丹十三の自殺をうけて、文学的な追悼として伊丹の死を再生の祈りに繋げた作品である『取り替え子(チェンジリング)』を発表する。続けて『憂い顔の童子』(2002年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)を発表した。これらは「スウード・カップル(おかしな二人組)」が登場する三部作となっている。『さようなら、私の本よ!』では2001年のアメリカ同時多発テロ事件をうけて現代社会が直面するテロリズムの問題が主題とされた。

2007年には、30年前にお蔵入りとなった映画制作の顛末と、再び企画を立ち上げる老人たちの友情を描いた『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(文庫刊行時に『美しいアナベル・リイ』に改題)を発表する。2009年には、終戦の夏におきた父親の水死の真相を描こうとする老作家の巻きこまれる騒動を多様なナラティヴで描く『水死』を発表する。本作は70年代に中編「みずから我が涙をぬぐいたまう日」で取り組まれた「父と天皇制」のテーマに再度挑むものであった。2013年には、東日本大震災とそれにともなう原発事故というカタストロフィーに直面する無力な老知識人としての自分を晒け出しながらも、次世代へつなぐ希望を探し求める『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を刊行した。

『宙返り』以外の「後期の仕事(レイト・ワーク)」は、すべてが自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語である。全編にわたって先行する文学作品などからの引用に加えて、過去の自作の引用・再話・再構築が行われている。

創作以外の活動としては、1996年にプリンストン大学で客員講師を、1999年にベルリン自由大学で客員教授を務めている。2006年に大江健三郎賞が創設され、次代の若き書き手を顕彰する動きをみせた。本賞は2014年に終了した。

2014年、岩波文庫から『大江健三郎自選短篇』を出版した。作家自身が作品を厳選し、全収録作品に加筆修正をほどこしている。

2018年より『大江健三郎全小説』(15巻)が講談社から刊行開始された。「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」が収録されることで話題になった。全小説と銘打っているが作者が不出来ゆえに封印している『夜よゆるやかに歩め』『青年の汚名』の二点が収録されておらず完全な全集ではない。[8]

人物[編集]

創作方法など[編集]

  • 徹底した書き直し

一旦書き上げた草稿を徹底的に推敲して書き直す。本人はこの作業を友人の批評家エドワード・サイードの用語からとって「エラボレーション」と読んでいる。[9]例えば『取り替え子(チェンジリング)』の場合、1000枚ほど書いてそれを500枚まで縮め、さらに加筆して現在の長さになったという。[10]最初に書かれた文章が原型を留めないほどに、徹底的に書き直された原稿用紙の写真は『大江健三郎全小説』などで見ることができる。

  • 小説の方法

小説の方法に自覚的な作家である。『小説の方法』を始めとした小説の方法論を考察した著作がある。小説創造のベースに置いている考え方で、特に重要なものは、ガストン・バシュラールの想像力論の「想像力とは、知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、基本的イメージからわれわれを解放してイメージを変える能力である 」という考え方、ミハイル・バフチンの「グロテスク・リアリズム」の概念(精神的・理想的なものを肉体的・物質的な次元に引き下げ、民衆的・祝祭的な生きた総体として捉えること)、ロシア・フォルマリズムの理論家ヴィクトル・シクロフスキーの芸術における「異化」の概念などである。[11]

  • 引用

自作に先行文学作品からの引用を織り込んで作品世界を作り上げることに特徴がある。これは1980年代以降に顕著となる。その効果として作品中に地の文と別のテクスチュアの文を織り込むことで文体の多様化をはかる。作品の主題を一つの柱としたら、もう一つ別の柱として引用を建てて作品の奥行きを増す。という効果を狙っている。これらのやり方が立脚する根本の思想としては「本来、言葉とは他人のものだ」というポストモダン的と言い得る言語観がある。[12]

  • 三年毎の読書

大学時代の恩師である渡辺一夫から作家生活をやっていく上で、三年ごとに主題を決めて一人の作家なり思想家なりをその作品のみならず、研究まで読み込むと良い、という勧めを受けており、それを実践している。その実践が上述の引用に結びついている。『「雨の木」を聴く女たち』のころはマルカム・ラウリー、『新しい人よ眼ざめよ』のころブレイク、その後ダンテイェーツに関心を移し、『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』を書いている。[13]

  • 詩の重視

大江自身は散文を書く人間であるが、詩を重要視している。デビュー前に深瀬基寛訳のT・S・エリオットオーデンに出会い、その文体、ナラティヴで新しい小説が書けるのでは、と発想したという。詩については文体、ナラティヴに止まらず、ブレイクダンテの神秘主義的な内容からも影響を受けている。「後期の仕事(レイト・ワーク)」においてもR・S・トーマス (『宙返り』)、アルチュール・ランボー(『取り替え子(チェンジリング)』)、T・ S・エリオット(『さようなら、私の本よ!』)、エドガー・アラン・ポー(『美しいアナベル・リイ』)と詩が果たす役割は大きい。詩人マイ・ベストスリーを問われてT・ S・エリオット 、イェーツ 、ブレイクと答えている。[14][15]

  • おかしな二人組

批評家フレドリック・ジェイムソンが『宙返り』についてロンドン・レビュー・オブ・ブックス誌で「スウード・カップル(Pseudo-Couples)」というタイトルの評論を書いており、大江の作品には、ベケットの戯曲や小説に出てくる不思議な二人組につながる「おかしな二人組(スウード・カップル)」が出てきて、二人の人物の掛け合いによって物語が生じる構造になっていると指摘している。[7]この指摘は作家自身気に入っており、『取り替え子』からの三部作を「スウード・カップル三部作」と名付けている。[16]

  • 小説内部の時間の扱い

『万延元年のフットボール』以降の長編小説における、小説のタテの展開としては短い範囲をきざみ 、そこに幾種もの時間の系列を導入する、という仕方をフォークナードストエフスキーに学んでいる。(このやり方は『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『取り替え子』などの代表作において明瞭に見てとれる。)[17]

  • サーガの形成

1980年代以降の大江の作品は、フォークナーヨクナパトーファ・サーガのように一つの作品に登場した人物(とその子孫)が別の作品に登場し、全体として緩くつながっていることに特徴がある。例えば、『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』に登場するアルコール依存症の英文学者くずれの高安カッチャンの息子、ザッカリー・K・高安が『燃えあがる緑の木』に登場、『懐かしい年への手紙』の主要人物ギー兄さんの息子のギー・ジュニアが『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』に登場、などの例が挙げられる。

日本文学[編集]

  • 日本の古典

影響を受けた古典として長編『源氏物語』、中編『好色五人女』、短編『枕草子』と答えている。「新潮日本古典集成」をベッドや電車で愛読したという。[18]

  • 私小説への偏愛

大江自身が(擬似的な)私小説の書き手であることもあり、近代文学のなかでは、日本独自の文学のスタイルである、読者との共犯関係のもとで告白をおこなう私小説に特別な関心を寄せている。葛西善蔵嘉村礒多牧野信一といった破滅型私小説の作家を評価している。[19][20]

  • 敬愛する先行文学者

ノーベル賞の受賞の第一報を受けて自宅前で記者に囲まれて「日本文学の水準は高い。安部公房大岡昇平井伏鱒二が生きていれば、その人たちがもらって当然でした。日本の現代作家たちが積み上げてきた仕事のお陰で、生きている私が受賞したのです」とコメントした。これらの文学者や、エッセイや作品で度々言及される中野重治などを特に尊敬している。安部、大岡とはプライベートでも付き合いがあった。[21]

  • 三島由紀夫

三島由紀夫の自決を受けて直ぐに、天皇制を批判的に問い直す「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を書いている。その後も三島事件は『新しい人よ眼ざめよ』連作の一編「落ちる、落ちる、叫びながら…」(1983年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)と繰り返し取り上げられる。
大江がかつて天皇崇拝のテロリストの少年を描いた「セヴンティーン」を発表した際、それを読んだ三島は、大江は国家主義に情念的に引きつけられるところがある人間なのではないか、と考えて『新潮』の編集者を介して大江に手紙をよこしたという。2007年のインタビューで大江は、三島の読み取りは正しく、自分の中にアンビバレントなものがあることを認めている。[22]

  • 村上春樹

村上春樹の口語体の小説の翻訳が、「英語の小説」として世界に広く受け入れられていることについて、それは日本文学史上初の達成であると肯定的に評価している。[23]かつて芥川賞の選者として村上の『風の歌を聴け』を評価できなかったのは、表層のカート・ヴォネガット的な口語体の言葉のくせに引っかかって、実力を見抜けなかったと述べている。[24]

趣味など[編集]

  • 音楽

若い頃はジャズを聴いており、デューク・エリントンジャンゴ・ラインハルトには相当詳しいようである。[25]ただ長男光がジャズをかけていると嫌がるためクラシックに転向した。[26]クラシックの好みは武満徹、バッハ、晩期ベートーヴェン、ヴェルディである。[27]

  • 大酒家

大酒家である。中年期にそれで痛風になって断酒したりもした。[28]2007年に出版されたインタビューでは、毎夜シングルモルト、タンブラー1杯を350mlのビール4缶をチェイサーにして飲むと答えている。[29]

  • 水泳

80年代から、週6日プールに通い、1日1000m泳ぐことを習慣としている。[30]『「雨の木」を聴く女たち』や『新しい人よ眼ざめよ』では題材として小説に取り入れられている。

  • 丸い眼鏡

大江のアイコンとなっている丸い眼鏡は、辞書を引きながら読書をするのに向くものを探して、本をよく読んだ人たち、柳田國男折口信夫サルトルジェイムズ・ジョイスが丸い眼鏡をかけているのを参考に探したもので、同じものを10個まとめて購入したという。[31]

その他[編集]

社会的 ・政治的な事柄についての見解[編集]

戦後民主主義者を自認し、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取っている。理想主義的な平和主義者であり「護憲」の立場から憲法第9条についてエッセイや講演で積極的に言及している。自衛隊の存在に対しても否定的である。核兵器についても反対の立場を明確にしている。原子力の平和利用に関してはかつてはそれを是認していたが、[34]。現在では立場を異にしている。

1994年のノーベル賞記念講演の際にはデンマークの文法学者クリストフ・ニーロップの「(戦争に)抗議しない人間は共謀者である」という言葉を引用している。

同1994年、ノーベル賞の受賞を受けて天皇からの親授式を伴う文化勲章の授与が内定し、文化庁から電話で打診されたときにはそれを断っている。米紙ニューヨークタイムズのインタビューで「私が文化勲章の受章を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観(注:天皇制)を認めないからだ。これは単純なことだが非常に重要なことだ」と話した。[35]

1995年、フランスの南太平洋における核実験再開に抗議して、南仏で開催される予定だったシンポジウムへの出席を取りやめた。[36]このことでフランスのノーベル賞作家クロード・シモンとの間で論争が生じた。[37]

1999年、朝日新聞に掲載されたアメリカの批評家スーザン・ソンタグとの公開書簡において、NATOによるユーゴ空爆を批判し、意見が対立した。[38]

2003年の自衛隊イラク派遣の際は仏紙リベラシオン掲載記事において「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した。[39]

2004年には、憲法9条の戦争放棄の理念を守ることを目的として、加藤周一鶴見俊輔らとともに九条の会を結成し、全国各地で講演会を開いている。

1990年代以降表面化してきた歴史修正主義をともなう右派運動・言論についても明確に反対を表明している。[40]

大江は1970年に『沖縄ノート』を上梓している。第二次世界大戦末期の地上戦において、戦後も朝鮮ベトナム戦争の基地として戦争に巻き込まれ、本土から捨て石とされ続けていた日本返還前の沖縄をめぐるルポルタージュである。この書において民間人の集団自決事件を取り上げ、旧日本軍の悪を追及している。これについて、35年後経過した2005年、旧軍指揮官と遺族が、歴史の見直しを主張する右派の組織的なバックアップを受ける形で、大江を被告として名誉毀損の訴えを起こしたが、原告の指揮官、遺族は敗訴している。

2011年、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故を契機にたちあがった脱原発の社会運動「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人の一人となっている。(他の呼びかけ人は内橋克人落合恵子鎌田慧坂本龍一澤地久枝瀬戸内寂聴辻井喬鶴見俊輔)

東アジア外交については、2006年には中国社会科学院の招きで訪中して複数の場所で講演を行い、南京大虐殺紀念館などにも訪れた。講演ではいずれも魯迅をテーマとしたが、その中で日中友好に触れて日本における戦争加害の歴史の忘却を憂えた。[41] [42]2012年には「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題する声明を元長崎市長の本島等、元『世界』編集長の岡本厚ら1300人と共同で発表。韓国、中国との領土問題について対立を感情的にエスカレートさせずに冷静に協議、対話をしていく必要があることを訴えた。[43]

作品[編集]

著作は英語フランス語ドイツ語ロシア語中国語イタリア語スペイン語などに翻訳されているものも少なくない。 なお現在新潮文庫から出版されている初期の短篇集は、文庫オリジナルの再編集が施されている。

長編小説[編集]

  • 芽むしり仔撃ち』講談社、1958年(のち新潮文庫)
  • 『われらの時代』中央公論社、1959年(のち中公文庫、新潮文庫)
  • 『夜よゆるやかに歩め』中央公論社、1959年
  • 『青年の汚名』文藝春秋、1960年(のち文春文庫)
  • 『遅れてきた青年』新潮社、1962年(のち新潮文庫)
  • 『叫び声』講談社、1963年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 『日常生活の冒険』文藝春秋、1964年(のち新潮文庫)
  • 個人的な体験』新潮社、1964年(のち新潮文庫) - 新潮社文学賞(英訳 A personal matter ノーベル賞対象作)
  • 万延元年のフットボール』講談社、1967年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫) - 谷崎潤一郎賞(英訳 The silent cry 仏訳 Le Jeu du siècle ノーベル賞対象作)
  • 洪水はわが魂に及び』上・下 新潮社、1973年(のち新潮文庫) - 野間文芸賞
  • ピンチランナー調書』新潮社、1976年(のち新潮文庫)
  • 同時代ゲーム』新潮社、1979年(のち新潮文庫)
  • M/Tと森のフシギの物語』岩波書店、1986年(のち岩波同時代ライブラリー、講談社文庫、岩波文庫)(仏訳 M/T et l'histoire des merveilles de la forêt ノーベル賞対象作)
  • 懐かしい年への手紙』講談社、1987年(のち講談社文芸文庫)(仏訳 Lettres aux années de nostalgie ノーベル賞対象作)
  • キルプの軍団』岩波書店、1988年(のち岩波同時代ライブラリー、講談社文庫、岩波文庫)
  • 人生の親戚』新潮社、1989年(のち新潮文庫) - 伊藤整文学賞
  • 治療塔』岩波書店、1990年(のち岩波同時代ライブラリー、講談社文庫)
  • 治療塔惑星』岩波書店、1991年(のち岩波同時代ライブラリー、講談社文庫)
  • 燃えあがる緑の木』三部作 新潮社、1993〜1995年(のち新潮文庫)
    • 『「救い主」が殴られるまで』1993年/『揺れ動く(ヴァシレーション)』1994年/『大いなる日に』1995年
  • 宙返り』講談社、1999年(のち講談社文庫)
  • 取り替え子(チェンジリング)』講談社、2000年(のち講談社文庫)
  • 憂い顔の童子』講談社、2002年(のち講談社文庫)
  • 二百年の子供』中央公論新社、2003年(のち中公文庫)
  • さようなら、私の本よ!』講談社、2005年(のち講談社文庫)
  • 『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』新潮社、2007年(のち新潮文庫『美しいアナベル・リイ』へ改題)
  • 水死』講談社、2009年(のち講談社文庫)
  • 晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』講談社、2013年(のち講談社文庫)

連作短編集[編集]

  • 「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』新潮社、1982年(のち新潮文庫)- 読売文学賞
    • 頭のいい「雨の木」/「雨の木」を聴く女たち/「雨の木」の首吊り男/さかさまに立つ「雨の木」/泳ぐ男—水のなかの「雨の木」
  • 新しい人よ眼ざめよ』講談社、1983年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)- 大佛次郎賞
    • 無垢の歌、経験の歌/怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって/落ちる、落ちる、叫びながら … …/蚤の幽霊/魂が星のように降って、跗骨のところへ/鎖につながれたる魂をして/新しい人よ眼ざめよ
  • 河馬に嚙まれる』文藝春秋、1985年(のち文春文庫、講談社文庫) - 短編「河馬に嚙まれる」で川端康成文学賞
    • 河馬に嚙まれる/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ/「浅間山荘」のトリックスター/河馬の昇天/四万年前のタチアオイ/死に先だつ苦痛について/サンタクルスの「広島週間」/生の連鎖に働く河馬 (講談社文庫版には「「浅間山荘」のトリックスター」と「サンタクルスの「広島週間」」の二作品は収録されていない)
  • 静かな生活』講談社、1990年(のち講談社文芸文庫)
    • 静かな生活/この惑星の棄て子/案内人(ストーカー)/自動人形の悪夢/小説の悲しみ/家としての日記

中・短編集[編集]

  • 『死者の奢り』文藝春秋、1958年 - 短編「飼育」で芥川龍之介賞
  • 『見るまえに跳べ』新潮社、1958年
    • 見るまえに跳べ/暗い川おもい櫂/不意の唖/喝采/戦いの今日
  • 『死者の奢り・飼育』新潮社、1959年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
    • 死者の奢り/他人の足/飼育/人間の羊/不意の唖/戦いの今日
  • 『孤独な青年の休暇』新潮社、1960年
    • 孤独な青年の休暇/後退青年研究所/上機嫌/共同生活/ここより他の場所
  • 『性的人間』新潮社、1963年
  • 『性的人間』新潮社、1968年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
    • 性的人間/セヴンティーン/共同生活
  • 『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』新潮社、1969年(のち新潮文庫)
    • 第1部 なぜ詩でなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの
    • 第2部 ぼく自身の詩のごときものを核とする三つの短篇 走れ、走りつづけよ/核時代の森の隠遁者/生け贄男は必要か
    • 第3部 オーデンブレイクの詩を核とする二つの中篇 狩猟で暮したわれらの先祖/父よ、あなたはどこへ行くのか?
  • 『空の怪物アグイー』新潮社、1972年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
    • 不満足/スパルタ教育/敬老週間/アトミック・エイジの守護神/空の怪物アグイー/ブラジル風のポルトガル語/犬の世界
  • 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』講談社、1972年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
    • *二つの中篇をむすぶ作家のノート/みずから我が涙をぬぐいたまう日/月の男(ムーン・マン)
  • 『見るまえに跳べ』新潮社、1974年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
    • 奇妙な仕事/動物倉庫/運搬/鳩/見るまえに跳べ/鳥/ここより他の場所/上機嫌/後退青年研究所/下降生活者
  • 『現代伝奇集』岩波書店、1980年
    • 頭のいい「雨の木」/身がわり山羊の反撃/『芽むしり仔撃ち』裁判
  • 『いかに木を殺すか』文藝春秋、1984年(のち文春文庫)
    • 揚げソーセージの食べ方/グルート島のレントゲン画法/見せるだけの拷問/メヒコの大抜け穴/もうひとり和泉式部が生まれた日/その山羊を野に/「罪のゆるし」のあお草/いかに木を殺すか
  • 『僕が本当に若かった頃』講談社、1992年(のち講談社文芸文庫)
    • 火をめぐらす鳥/「涙を流す人」の楡/宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」/夢の師匠/治療塔/ベラックヮの十年/マルゴ公妃のかくしつきスカート/僕が本当に若かった頃/茱萸(ぐみ)の木の教え・序

評論・随筆等[編集]

  • 『世界の若者たち』新潮社、1962年
  • 『ヨーロッパの声、僕自身の声』毎日新聞社、1962年
  • 『厳粛な綱渡り』文藝春秋、1965年(のち文春文庫、講談社文芸文庫)
  • ヒロシマ・ノート』岩波書店 <岩波新書>、1965年
  • 『持続する志』文藝春秋、1968年(のち講談社文芸文庫)
  • 『壊れものとしての人間』講談社、1970年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 『核時代の想像力』新潮社 <新潮選書>、1970年
  • 沖縄ノート』岩波書店 <岩波新書>、1970年
  • 『鯨の死滅する日』文藝春秋、1972年(のち講談社文芸文庫)
  • 『同時代としての戦後』(作家論集)講談社、1973年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 『状況へ』岩波書店、1974年
  • 『文学ノート 付15篇』新潮社、1974年
  • 『言葉によって-状況・文学*』新潮社、1976年
  • 『小説の方法』岩波書店 <岩波現代選書>、1978年(のち岩波同時代ライブラリー)
  • 『表現する者-状況・文学**』新潮社、1978年
  • 『方法を読む=大江健三郎文芸時評』講談社、1980年
  • 『核の大火と「人間」の声』岩波書店、1982年
  • 『広島からオイロシマへ―'82ヨーロッパの反核・平和運動を見る』岩波書店 <岩波ブックレットNo.4>、1982年
  • 『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』岩波書店、1984年
  • 『生き方の定義-再び状況へ』岩波書店、1985年
  • 『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年(のち新潮文庫)
  • 新しい文学のために』岩波書店 <岩波新書>、1988年
  • 『最後の小説』講談社、1988年(のち講談社文芸文庫) - 劇シナリオ「革命女性」を含む
  • 『ヒロシマの「生命の木」』NHK出版、1991年
  • 『人生の習慣(ハビット)』岩波書店、1992年
  • 『文学再入門』NHK出版、1992年
  • 『新年の挨拶』岩波書店、1993年(のち岩波同時代ライブラリー、岩波現代文庫)
  • 『小説の経験』朝日新聞社、1994年(のち朝日文芸文庫)
  • 『あいまいな日本の私』岩波書店 <岩波新書>、1995年 ISBN 4004303753
  • 『あいまいな日本の私 : Japan,the ambiguous,and myself The Nobel Prize speech and other lectures』(英文)講談社インターナショナル、1995年
  • 『日本の「私」からの手紙』岩波書店 <岩波新書>、1996年
  • 私という小説家の作り方』新潮社、1998年(のち新潮文庫)
  • 『鎖国してはならない』講談社、2001年(のち講談社文庫)
  • 『言い難き嘆きもて』講談社、2001年(のち講談社文庫)
  • 『「話して考える」(シンク・トーク)と「書いて考える」(シンク・ライト)』集英社、2004年(のち集英社文庫)
  • 『「伝える言葉」プラス』朝日新聞社、2006年(のち朝日文庫)
  • 『大江健三郎作家自身を語る』(尾崎真理子聞き手・構成)新潮社、2007年(のち新潮文庫、増補されている)
  • 『読む人間-読書講義』集英社、2007年(のち集英社文庫)
  • 『定義集』朝日新聞出版、2012年(のち朝日文庫)
  • 『大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる』講談社、2018年

共著[編集]

  • 『対話・原爆後の人間』(重藤文夫)新潮社、1971年
  • 『『世界』の40年—戦後を見直す、そして、いま』(安江良介)岩波書店 <岩波ブックレット No.39>、1984年
  • 『私たちはいまどこにいるか ——主体性の再建——』(隅谷三喜男)岩波書店 <岩波ブックレット No.113>、1988年
  • 『ユートピア探し 物語探し—文学の未来に向けて』(井上ひさし筒井康隆)岩波書店、1988年
  • 『自立と共生を語る—障害者・高齢者と家族・社会』(上田敏ほか)三輪書店、1990年
  • 『オペラをつくる』(武満徹)岩波書店 <岩波新書>、1990年
  • 『恢復する家族』(大江ゆかり画)講談社、1995年(のち講談社文庫)
  • 『日本語と日本人の心』(河合隼雄谷川俊太郎)岩波書店、1996年(のち岩波現代文庫)
  • 『ゆるやかな絆』(大江ゆかり画)講談社、1996年
  • 『シンポジウム 共生への志——心のいやし、魂の鎮めの時代に向けて——』(ロナルド・ドーアプラティープ・ウンソンタム・秦)岩波書店 <岩波ブックレット No.528>、2001年
  • 『君たちに伝えたい言葉—ノーベル賞受賞者と中学生の対話』(ハロルド・クロート)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.25>、2001年
  • 『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』(小澤征爾)中央公論新社、2001年(のち中公文庫)
  • 『「自分の木」の下で』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2001年(のち朝日文庫)
  • 『「新しい人」の方へ』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
  • 『暴力に逆らって書く 大江健三郎往復書簡』朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
  • 『何を学ぶか 作家の信条、科学者の思い ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」』(白川英樹)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.34>、2004年
  • 『憲法九条、あしたを変える——小田実の志を受けついで——』(井上ひさし梅原猛他)岩波書店 <岩波ブックレット No.731>、2008年
  • 『冥誕 加藤周一追悼』(鶴見俊輔他)かもがわ出版、2009年
  • 『文学の淵を渡る』(古井由吉)新潮社、2015年(のち新潮文庫)
  • 『大江健三郎柄谷行人全対話 世界と日本と日本人』(柄谷行人)講談社、2018年

共編著[編集]

  • 『岩波講座文学』岩波書店、全12巻、1975-1976年
  • 『叢書文化の現在』岩波書店、全13巻、1980-1982年
  • 『なぜ変える?教育基本法』(辻井喬他共編)岩波書店、2006年10月、ISBN 978-4-00-024158-8

個人作品集[編集]

  • 大江健三郎全作品、新潮社、第1期全6巻、1966-1967、第2期全6巻、1977-1978年
  • 大江健三郎同時代論集、岩波書店、全10巻、1980-1981年
  • 大江健三郎小説、新潮社、全10巻、1996-1997年
  • 大江健三郎自選短篇、岩波文庫、2014年
  • 大江健三郎全小説、講談社、全15巻、2018-2019年

選集[編集]

  • 新鋭文学叢書12『大江健三郎集』筑摩書房、1960年
  • 新日本文学全集11『開高健・大江健三郎集』集英社、1962年
  • 角川版昭和文学全集9『開高健・大江健三郎』角川書店、1963年
  • 現代の文学43『大江健三郎集』河出書房新社、1964年
  • われらの文学18『大江健三郎』講談社、1965年
  • 日本の文学76『石原慎太郎 開高健 大江健三郎』中央公論社、1968年
  • 日本文学全集第2集25『大江健三郎集』河出書房新社、1968年
  • 新潮日本文学64『大江健三郎集』新潮社、1969年
  • De Luxe われらの文学7『大江健三郎』講談社、1969年
  • 現代日本の文学47『安部公房・大江健三郎集』学習研究社、1970年
  • 現代の文学28『大江健三郎』講談社、1972年
  • 日本文学全集50『大江健三郎/芽むしり仔撃ち 日常生活の冒険』河出書房新社、1971年
  • 日本文学全集44『大江健三郎 安部公房 開高健』新潮社、1971年
  • 新潮現代文学55『大江健三郎/個人的な体験 ピンチランナー調書』新潮社、1978年
  • 日本の原爆文学9『大江健三郎 金井利博』ほるぷ出版、1983年
  • 昭和文学全集16『大岡昇平 埴谷雄高 野間宏 大江健三郎』小学館、1987年

台本[編集]

  • 『歌劇『ヒロシマのオルフェ』』(芥川也寸志)(CD)カメラータ・トウキョウ、2002年

講演映像[編集]

  • 『私の最後の小説、「燃えあがる緑の木」』(カセット)新潮社、1994年
  • 『大江健三郎 文学再入門』(ビデオカセット)NHKソフトウェア、全12巻、1995年

テレビ番組[編集]

その他[編集]

( 「無気力(アパシー)青年」の事例検討に参加し、文学者の視点から彼等の内面を語る)
  • 『沖縄について考え続けていること』岩波書店 世界 (2014年8月号) 通巻859号
( 大江の講演を活字化したもの)

作品の映画化[編集]

研究・評伝[編集]

  • 野口武彦『吠え声・叫び声・沈黙 大江健三郎の世界』新潮社 1971年
  • 川西政明『大江健三郎論 未成の夢』講談社 1979年
  • 松崎晴夫『デモクラットの文学 広津和郎と大江健三郎』新日本出版社 1981年
  • 一条孝夫『大江健三郎の世界 現代作家の世界3』和泉書院 1985年
  • 榎本正樹『大江健三郎 八〇年代のテーマとモチーフ』審美社 1989年
  • 黒古一夫『大江健三郎論 森の思想と生き方の原理』彩流社 1989年
  • 蓮實重彦『大江健三郎論』青土社 1992年
  • マサオ・ミヨシほか『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館 1992年
  • 柴田勝二『大江健三郎論 地上と彼岸』有精堂出版 1992年
  • 渡辺広士『大江健三郎 増補版』審美社 1994年
  • 文芸研究プロジェ編著『よくわかる大江健三郎』ジャパン・ミックス 1994年
  • 群像編集部編『講談社MOOK 群像特別編集 大江健三郎』講談社 1995年
  • オーケンで遊ぶ青年の会編『大江健三郎がカバにもわかる本 コレ一冊!あといらないッ!』洋泉社 1995年
  • 榎本正樹『大江健三郎の八〇年代』彩流社 1995年
  • 中村泰行『大江健三郎文学の軌跡』新日本出版社 1995年
  • 平野栄久『大江健三郎わたしの同時代ゲーム』オリジン出版センター 1995年
  • 鷲田小弥太ほか『大江健三郎とは誰か 鼎談 人・作品・イメージ』三一書房 1995年
  • 本多勝一『大江健三郎の人生-貧困なる精神X集』毎日新聞社 1995年 ISBN 4620310565
  • 一条孝夫『大江健三郎 その文学世界と背景』和泉書院 1997年
  • 桑原丈和『大江健三郎論』三一書房 1997年
  • 黒古一夫『大江健三郎とこの時代の文学』勉誠社 1997年
  • 篠原茂『大江健三郎文学事典―全著作・年譜・文献完全ガイド』森田出版 1998年 ISBN 494418901X
  • すばる編集部編『大江健三郎・再発見』集英社 2001年
  • ジャン・ルイ・シェフェル『大江健三郎―その肉体と魂の苦悩と再生』2001年 ISBN 4896340779
  • 小森陽一『歴史認識と小説―大江健三郎論』2002年 ISBN 406211304X
  • 張文穎『トポスの呪力―大江健三郎と中上健次』2002年 ISBN 4881251244
  • 黒古一夫『作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説』2003年ISBN 4309015751
  • 井口時男『危機と闘争 大江健三郎と中上健次』作品社 2004年
  • 蘇明仙『大江健三郎論 <神話形成>の文学世界と歴史認識』花書院 2006年
  • クラウプロトック・ウォララック『大江健三郎論 「狂気」と「救済」を軸にして』専修大学出版局 2007年
  • 王新新『再啓蒙から文化批評へ 大江健三郎の1957〜1967』東北大学出版会 2007年
  • 黒古一夫『戦争・辺境・文学・人間 大江健三郎から村上春樹まで』勉誠出版 2010年
  • 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 2015年
  • 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 2019年

雑誌の特集[編集]

  • 『ユリイカ』1974年3月号 「特集 大江健三郎その神話的世界」青土社 (1974年3月号)
  • 『国文学 解釈と教材の研究』第28巻第8号「特集 大江健三郎ー神話的宇宙を読む」学燈社 (1983年6月号)
  • 『Switch 』Vol.8 No.1「緑したたる森 萌え出ずる樹 大江健三郎」扶桑社 (1990年3月号)
  • 『早稲田文学』6号「大江健三郎(ほぼ)全小説解題」早稲田文学会 (2013年9月号)

関連人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 訳は「ノーベル賞はいかにしてもたらされたか」尾崎真理子『大江健三郎全小説7』
  2. ^ 巌谷大四「文壇紳士録」(文藝春秋)P.9
  3. ^ 第3章『大江健三郎作家自身を語る』
  4. ^ 読むための大江健三郎年譜『大江健三郎・再発見』集英社
  5. ^ 篠原茂『大江健三郎文学事典』森田出版、1998年
  6. ^ 訳は「ノーベル賞はいかにしてもたらされたか」尾崎真理子『大江健三郎全小説7』
  7. ^ あいまいな日本の私『あいまいな日本の私』
  8. ^ 惨憺たる青年たち尾崎真理子『大江健三郎全小説2』
  9. ^ 武満徹のエラボレーション『言い難き嘆きもて』
  10. ^ 大江健三郎 Interview long Version 2005年9月号[1]
  11. ^ 五章この方法を永らく探しもとめてきた『私という小説家の作り方』
  12. ^ 六章 引用には力がある『私という小説家の作り方』
  13. ^ 六章 引用には力がある『私という小説家の作り方』
  14. ^ 四章 詩人たちに導かれて『私という小説家の作り方』
  15. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る』
  16. ^ 第6章「おかしな二人組」三部作/ 『二百年の子供』『大江健三郎作家自身を語る』
  17. ^ 九章 甦えるとロマーン主義者『私という小説家の作り方』
  18. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る
  19. ^ 八章 虚構の仕掛けとなる私『私という小説家の作り方』
  20. ^ 百年の短編小説を読む『文学の淵を渡る』
  21. ^ 『大江健三郎作家自身を語る
  22. ^ 第2章『大江健三郎作家自身を語る』
  23. ^ 第6章『大江健三郎作家自身を語る
  24. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る
  25. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る
  26. ^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦 筑摩書房
  27. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る
  28. ^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦 筑摩書房
  29. ^ 大江健三郎、106の質問に立ち向かう + α『大江健三郎作家自身を語る
  30. ^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦 筑摩書房
  31. ^ 第4章『大江健三郎作家自身を語る』
  32. ^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』p.38
  33. ^ American Academy of Arts and Sciences Elects Ten Columbia Scholars
  34. ^ 大江健三郎『核時代の想像力』新潮社
  35. ^ 「勲章」を受け取ることを拒んだ人たちの意外な理由 ニュースサイト『現代ビジネス』[2]
  36. ^ 年譜『大江健三郎全小説15』
  37. ^ ノーベル賞作家・シモン氏、仏核実験批判の大江健三郎氏に反論 1995年9月22日 朝日新聞朝刊
  38. ^ 『暴力に逆らって書く―大江健三郎往復書簡』
  39. ^ 自衛隊派遣に「怒っている」大江健三郎氏が仏紙で論陣 2003年12月1日朝日新聞
  40. ^ 宗教的な想像力と文学的想像力『鎖国してはならない』
  41. ^ [3]
  42. ^ [4]
  43. ^ 声明原文[5]

外部リンク[編集]



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