大東亜聖戦大碑

大東亜聖戦大碑
座標 北緯36度33分33.59秒 東経136度39分50.17秒 / 北緯36.5593306度 東経136.6639361度 / 36.5593306; 136.6639361座標: 北緯36度33分33.59秒 東経136度39分50.17秒 / 北緯36.5593306度 東経136.6639361度 / 36.5593306; 136.6639361
所在地 石川県金沢市石引4-18-1
開場 2000年(平成12年)8月4日
地図
地図

大東亜聖戦大碑(だいとうあせいせんたいひ)は、日本をまもる会(以下「まもる会」)[注釈 1]によって2000年(平成12年)8月4日石川護国神社の参道に建てられた石碑である。

「まもる会」内に事務局が設けられまた中心となって1996年(平成8年)末に「大東亜聖戦大碑建立委員会」を設立した。雑誌「正論」(産経新聞社発行)の意見広告(「大東亜聖戦大碑建立に赤誠を!!」)で基金拠出を呼びかけた。

大碑の表には「大東亜聖戦大碑」、裏には「八紘爲宇」と刻まれている。「聖戦」の表記に反発し、戦争を美化するものとして撤去を要求している団体もある[1][2]

毎年、8月初めの日曜日に「まもる会」や石川護国神社大東亜聖戦大碑護持会大東亜青年塾などが主催し北国新聞社テレビ金沢エフエム石川が後援して大東亜聖戦祭が開催される。

2010年(平成22年)10月8日、大東亜聖戦大碑護持会などが、大碑の碑文の意義を若年層にも分かりやすく解説した副碑を設置[1]。10月11日に落慶記念式典が催された[3]

建立委員会[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本会議の前身の日本を守る会とは別の団体。

出典[編集]

  1. ^ a b “聖戦大碑の「副碑」設置 金沢の護持会”. 北國新聞. (2010年10月9日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/bxX49 2022年5月30日閲覧。 
  2. ^ 聖戦大碑をなぜ建てるか 日本をまもる会 
  3. ^ 【石川県護国神社】大東亜聖戦大碑建立10周年日本文化チャンネル桜。YouTubeより。[リンク切れ]

外部リンク[編集]