大宜見小太郎

大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - 1994年7月26日)は沖縄県那覇市出身の俳優脚本家演出家舞踊家。沖縄芝居の大御所として知られ、沖縄俳優協会会長もつとめた。なお、「大宣見小太郎」「大宜味小太郎」等と誤記されることも多い。

生誕時の本名は、當間朝義(幼名太郎)。やがて、沖縄芝居の役者の、大宜見朝良の養子に入り、本名「大宜見朝義」となった。さらに、当時の役者には、「太郎」と名乗る者が多かったことから、「大宜見小太郎」を芸名にした。[1]また、南一郎のペンネームで200本以上の脚本を書いている。

妻は女優の大宜見静子

略歴[編集]

小学生時代から子役として活躍する。

1940年に大阪に赴き「琉球演劇舞踊団」を結成。大阪在住の沖縄人向けに、沖縄芸能を上演した。

戦後、1946年に沖縄に戻り、1949年に「大伸座」を結成。曾我廼家十吾渋谷天外らの家庭劇の『丘の一本杉』を沖縄芝居に改作した人情喜劇『丘の一本松』で、頑固者の鍛冶屋の親父を演じて人気を博す。また、歌劇『泊阿嘉』ではアンマー(老女)役を演じた。その芸風は「小太郎芸」として親しまれた。

沖縄タイムス芸術選奨大賞、文部省地域文化功労賞、那覇市民功労賞、琉球新報賞を受賞。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

著書[編集]

  • 『小太郎の 語やびら うちなあ芝居』青い海出版社 1976年6月[2]

出典[編集]