塩竈市

しおがまし ウィキデータを編集
塩竈市
塩竈市旗 塩竈市章
1942年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04203-0
法人番号 9000020042030 ウィキデータを編集
面積 17.37km2
総人口 50,566[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 2,911人/km2
隣接自治体 多賀城市宮城郡利府町七ヶ浜町
市の木 シオガマザクラ
市の花 シラギク
塩竈市役所
市長 佐藤光樹
所在地 985-8501
宮城県塩竈市旭町1番1号
北緯38度18分52秒 東経141度01分19秒 / 北緯38.31436度 東経141.02197度 / 38.31436; 141.02197座標: 北緯38度18分52秒 東経141度01分19秒 / 北緯38.31436度 東経141.02197度 / 38.31436; 141.02197
外部リンク 公式ウェブサイト

塩竈市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

地図
ウィキプロジェクト

塩竈市(しおがまし)は、宮城県のほぼ中央に位置するである。

太平洋仙台湾、およびその内側にある塩釜湾に面し、鹽竈神社門前町、および塩釜港を中心とする港湾都市である。

概要[編集]

地名について[編集]

市名の表記

「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と様々に表記されてきた[1]。市は1941年の市制施行より表記を「塩竈」に統一しているが、「竈」に代えて「釜」を用いた「塩釜」の使用も認められている[1][2]。市が作成する公文書では「塩竈」の表記が専ら用いられ、市民が「塩釜」と表記した場合などは「塩竈」と解釈したうえで受理している[1]。組織や団体の名称にも「塩竈」と「塩釜」の表記が混在しており、市はどの表記を用いるかを各団体に一任している[2]。市内の施設では塩釜駅塩釜郵便局宮城県塩釜高等学校などに「塩釜」の表記が見られ[2][3]、県や国の機関もほとんどが「塩釜」の表記を使用している[1]

ただ、「」と「」は新字体と旧字体の関係であるため字義が同じである一方、「」はナベカマの「かま」を意味し、「」は釜を乗せる「かまど」を意味するため、この両者は字義が異なる[3][4]。市名が鹽竈神社の社号に由来することから、市は「竈」を使い、「鹽」を常用漢字の字体に置き換えた「塩竈」を市名の表記に採用した[4]。画数が多く複雑な「竈」の字は、市の公式サイトでも筆順つきで紹介されている[1][3]

地理[編集]

1984年(昭和59年)撮影の塩竈市中心部周辺の空中写真。画像下部は塩竈市の南隣の多賀城市である。1984年撮影の18枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

位置[編集]

宮城県のほぼ中央、仙台市松島の中間に位置し、仙塩地区の仙台市を除く2市3町の中心都市として、仙塩地区連絡協議会の本部が置かれている。

松島湾松島丘陵に囲まれており、塩釜湾(千賀ノ浦)には島が多く、松島湾とほぼ一体化している。 塩釜湾の中に宮城県の4大漁港の一つ, 塩釜港(仙台塩釜港)があり、海上保安庁東北地方の海を管轄する第二管区保安本部が置かれている。平地のほとんどは埋立地である。市街地は、埋立地が6割、丘陵地が4割という比率である[5]

地形[編集]

山岳[編集]

主な丘

海岸[編集]

湾岸

島嶼[編集]

気候[編集]

塩釜(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14.4
(57.9)
21.0
(69.8)
21.3
(70.3)
30.0
(86)
30.9
(87.6)
34.9
(94.8)
35.5
(95.9)
35.8
(96.4)
35.7
(96.3)
28.5
(83.3)
23.5
(74.3)
20.7
(69.3)
35.8
(96.4)
平均最高気温 °C°F 4.4
(39.9)
5.2
(41.4)
8.9
(48)
14.5
(58.1)
19.3
(66.7)
22.3
(72.1)
25.7
(78.3)
27.4
(81.3)
24.1
(75.4)
18.8
(65.8)
13.0
(55.4)
7.1
(44.8)
15.9
(60.6)
日平均気温 °C°F 0.9
(33.6)
1.3
(34.3)
4.4
(39.9)
9.6
(49.3)
14.6
(58.3)
18.3
(64.9)
22.0
(71.6)
23.5
(74.3)
20.3
(68.5)
14.8
(58.6)
8.8
(47.8)
3.4
(38.1)
11.8
(53.2)
平均最低気温 °C°F −2.1
(28.2)
−2.0
(28.4)
0.5
(32.9)
5.4
(41.7)
10.8
(51.4)
15.2
(59.4)
19.3
(66.7)
20.7
(69.3)
17.2
(63)
11.2
(52.2)
5.0
(41)
0.2
(32.4)
8.4
(47.1)
最低気温記録 °C°F −9.6
(14.7)
−9.5
(14.9)
−6.2
(20.8)
−2.8
(27)
0.5
(32.9)
7.9
(46.2)
11.1
(52)
12.9
(55.2)
6.9
(44.4)
2.2
(36)
−3.1
(26.4)
−7.8
(18)
−9.6
(14.7)
降水量 mm (inch) 38.3
(1.508)
31.8
(1.252)
71.2
(2.803)
87.9
(3.461)
101.8
(4.008)
130.0
(5.118)
170.2
(6.701)
130.5
(5.138)
172.1
(6.776)
140.2
(5.52)
60.3
(2.374)
40.6
(1.598)
1,175
(46.26)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.0 5.8 7.5 8.4 9.4 11.0 13.8 11.1 11.2 8.5 6.5 6.5 105.9
平均月間日照時間 153.5 161.1 182.4 193.1 190.1 145.3 134.9 149.8 135.0 144.8 143.3 133.2 1,871.3
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[6]

人口[編集]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08パーセント減の54,187人であり、増減率は県下35市町村中17位。40行政区域中22位。世帯数は21,658世帯(2005年2月28日)。

塩竈市と全国の年齢別人口分布(2005年) 塩竈市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 塩竈市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

塩竈市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体[編集]

宮城県

歴史[編集]

鹽竈神社の拝殿。

古代[編集]

陸奥国国府(およびのちの鎮守府 (古代))が現在の宮城県仙台市太白区の郡山城(郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の国府の港である国府津(こうづ)が塩竃市に造られた。これは現在の塩釜市香津地区にあたると言われる。現在の香津地区は塩釜港より内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。

奈良時代に陸奥国の国府(および鎮守府)が仙台市の郡山城(郡山遺跡)から鎮守府を兼ねる多賀城に遷ると、現在の多賀城市の砂押川沿いの八幡地区が東北地方最大の街に発展した。町の名は神社からとられて塩竈となった。また、現在の宮城県七ヶ浜町も、国府兼鎮守府、多賀城へ海の幸を届ける供給拠点としてとして重要な存在であった。この奈良時代には中央で万葉集に代表される和歌が盛んにつくられ、塩釜市の千賀ノ浦や野田の玉川などは歌枕の地として都の貴族たちの憧れの地となった。

平安時代には、源氏物語の主人公,光源氏のモデルとなった嵯峨天皇王子源融左大臣、初代嵯峨源氏)が京都の自宅、六条河原院陸奥国国府兼鎮守府、多賀城に隣接する塩釜の風景(千賀ノ浦)を模した庭園を造ったことで有名である。塩釜の風景を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の塩を運んだと伝えられる。

中世[編集]

塩竃は中世以降も多賀城の国府の港として鹽竈神社と港湾を中心に栄えが、鎌倉時代には現在の仙台市七北田川奥大道(現在の利府街道付近)が交差する交通の要衝,仙台市岩切地区が東北地方最大の商業地帯となった。

戦国時代(室町時代後期)には塩竈は留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から留守氏へ養子に入った留守政景の代になって、留守氏は実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。天正18年(1590年)に伊達政宗が豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。

近世[編集]

慶長5年(1600年12月24日1601年1月28日)に政宗が仙台城の築城を開始して、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。

江戸時代、歴代の仙台藩主は鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。 また、塩竈は仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩釜を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。

近代[編集]

明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイやまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い宮城郡塩竈町が発足した。

1910年(明治43年)に塩釜港は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで気仙沼宮古釜石といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、1928年(昭和3年)には函館釧路といった北海道航路の定期船も就航した[7]

近現代[編集]

1960年(昭和35年)のチリ地震に伴う津波による被害の様子。
昭和(戦前)

1938年昭和13年)9月1日多賀城村七ヶ浜村の一部を編入した。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月23日市制施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で3番目の市となった。市では記念事業として東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社)仙台支局と合同で市章と『塩竈市民歌』の歌詞を募集しており[8]、市章は戦中の1942年(昭和17年)4月1日に制定された[9]

昭和(戦後)

終戦後の1948年(昭和23年)海上保安庁の発足と共に、塩釜港に面して第二管区海上保安本部が設置された。商業港だった塩釜港は工業港と漁港の機能もあわせて整備されていくことになる[7]

1949年(昭和24年)12月1日に多賀城村牛生地区を、1950年(昭和25年)4月1日に浦戸村を編入した。1960年(昭和35年)チリ地震で生じた津波は約1日かけて日本に到達し三陸沿岸を中心に被害をもたらした。塩竈では波で持ち上げられた船が街中に打ち上げられるなどした。

1962年(昭和37年)に制定された新産業都市建設促進法に基いて、1964年(昭和39年)3月3日に本市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、同法23条に基いて塩竈市や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」議論がなされたが、不調に終わった。

現代[編集]

平成

1996年平成8年)1月24日宮城郡利府町と境界を変更した。

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生し、これに伴う津波で沿岸部が浸水した。

政治[編集]

行政[編集]

市長[編集]

歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 菊地雄治 1889年(明治22年)4月22日 1890年(明治23年)2月28日
2 水間豊稲 1901年(明治34年)10月22日 1911年(明治44年)5月13日
3 根本四郎平 1911年(明治44年)6月29日 1918年(大正7年)2月12日
4 菊池忠吉 1918年(大正7年)3月27日 1922年(大正11年)10月8日
5 佐藤静治 1923年(大正12年)7月21日 1925年(大正14年)6月16日
6 今村治三郎 1925年(大正14年)11月21日 1936年(昭和11年)2月7日
7 佐浦重治郎 1936年(昭和11年)8月1日 1940年(昭和15年)7月31日
8 今村治三郎 1940年(昭和15年)8月1日 1941年(昭和16年)1月16日 再任
9 東海林祐五郎 1941年(昭和16年)5月20日 1941年(昭和16年)11月22日
歴代市長
氏名 就任 退任 備考
1 守屋栄夫 1942年(昭和17年)3月3日 1946年(昭和21年)5月1日
2 桜井辰治 1946年(昭和21年)6月18日 1967年(昭和42年)4月30日
3 川瀬基治郎 1967年(昭和42年)5月1日 1983年(昭和58年)4月30日
4 内海勇三 1983年(昭和58年)5月1日 1991年(平成3年)4月30日
5 三升正直 1991年(平成3年)5月1日 2003年(平成15年)4月30日
6 佐藤昭 2003年(平成15年)5月1日 2019年(令和元年)9月10日
7 佐藤光樹 2019年(令和元年)9月11日 現職

不祥事[編集]

2014年11月、塩竈市役所が複数の生活保護受給者に対し子どもの養育先を指示したり、家庭環境を無視した指示をするなど不適切な対応を行ったことに対して宮城県より改善指導が為された[10]

国家機関[編集]

法務省[編集]

財務省[編集]

国税庁

厚生労働省[編集]

農林水産省[編集]

国土交通省[編集]

海上保安庁

施設[編集]

警察[編集]

本部
交番

消防[編集]

本部
消防署
  • 塩釜消防署(塩竈市尾島町17番22号)

医療[編集]

救急指定病院

郵便局[編集]

主な郵便局
  • 塩釜新浜町郵便局
  • 塩釜駅前郵便局[注釈 1]
  • 塩釜北浜町郵便局
  • 塩釜藤倉郵便局
  • 塩釜花立郵便局
  • 塩釜佐浦町郵便局
  • 塩釜東玉川郵便局[注釈 1]
  • 塩釜西町郵便局
  • 塩釜長沢郵便局

文化施設[編集]

壱番館

対外関係[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

国内[編集]

塩竈市は全国門前町サミットに参加している。全国門前町サミットは全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町・鳥居前町を有する自治体、観光協会、商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議である。

経済[編集]

第一次産産業[編集]

水産業が盛んで、生マグロの水揚げ、蒲鉾など魚肉練り製品の生産は日本一である。また、1平方キロメートルあたりの寿司屋店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数も日本一多い[11]

水産業[編集]

市場

第三次産業[編集]

商業[編集]

経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ(シャッター商店街)。

観光業[編集]

観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、テナントが次々と撤退し赤字経営が続いている。狭い可住地に密集して人が住んでいるため、ロードサイド店出店に適した土地がない。そのため、減反政策で土地に余裕があった利府町多賀城市にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。 一方、2007年(平成19年)には本塩釜駅周辺の環境が一斉に整備され、同年5月、旧国鉄貨物ヤード跡地に「マックスバリュ」を核としたイオンタウン塩釜ショッピングセンターがオープンした(同年2月に閉店したジャスコ塩釜店の事実上の後継店。)。また、食品スーパーのヤマザワ2010年(平成22年)4月3日に中の島地区に出店している。

情報通信・生活基盤[編集]

マスメディア[編集]

放送局[編集]

テレビ放送
ラジオ放送

ライフライン[編集]

電力[編集]

東北電力

上下水道[編集]

電信[編集]

市外局番

塩竈市で利用されている市内局番は次のとおり。

  • 塩釜収容局…361-1,3~9、362~367、762
  • 浦戸収容局…361-2、369-2
  • ひかり電話…仙台市と同一

教育[編集]

高等学校[編集]

県立

中学校[編集]

市立

小学校[編集]

塩竈市立第一小学校
市立

交通[編集]

塩釜駅
本塩釜駅
マリンゲート塩釜の桟橋

鉄道[編集]

中心となる駅:塩釜駅

JTB時刻表では当市の中心駅は塩釜駅となっているが、旧来の市街地、市役所の最寄り駅は本塩釜駅である。1997年(平成9年)までは、塩釜線塩釜港駅もあった。塩釜線は1956年に旅客扱いを廃止して貨物線となった。なお、下馬駅については、ホームが多賀城市と塩竈市に跨っているが、所在地は多賀城市となっている。

鉄道路線[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
東北本線仙石東北ライン
仙石線

バス[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

国道[編集]

県道[編集]

主要地方道

航路[編集]

港湾[編集]

船舶[編集]

観光[編集]

鹽竈神社
旧亀井邸
松島湾に浮かぶ浦戸諸島。
塩釜まちかど博物館

名所・旧跡[編集]

主な城郭
主な神社
主な寺院
主な史跡

観光スポット[編集]

文化・名物[編集]

塩竈みなと祭で使われる御座船の鳳凰丸

祭事・催事[編集]

  • 鹽竈神社帆手まつり
  • 塩釜市民まつり
  • 塩竈みなと祭(日本三大船祭りの一つとされている)

名産・特産[編集]

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

出身関連著名人[編集]

出身著名人[編集]

ゆかりの人物[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 塩釜駅前郵便局の所在地は仙石線本塩釜駅北口近辺であり、東北本線塩釜駅前ではない。また、塩釜駅前(東口近辺)にある郵便局は、塩釜東玉川郵便局である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 「竈」の字について”. 塩竈市. 2020年9月4日閲覧。
  2. ^ a b c 薬師知美 (2010年12月17日). “「釜」か「竈」か~北へ西へ~ 塩釜編後編”. 朝日新聞デジタル(ことばマガジン). 朝日新聞社. pp. 1-3. 2020年1月7日閲覧。
  3. ^ a b c 薬師知美 (2010年12月3日). “「釜」か「竈」か~北へ西へ~ 塩釜編前編”. 朝日新聞デジタル(ことばマガジン). 朝日新聞社. pp. 1-4. 2020年1月7日閲覧。
  4. ^ a b 市名の表記を見直すことについて(平成29年度)”. 塩竈市 (2017年5月26日). 2020年1月7日閲覧。
  5. ^ 地形・地質(塩竈市)
  6. ^ 塩釜 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2022年12月29日閲覧。
  7. ^ a b 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史)628-632頁。
  8. ^ 井上充昌 (2020年7月22日). “宮城)朝ドラのモデルが作曲した塩釜市民歌 「復活」へ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASN7P6TD1N7FUNHB01F.html 2020年7月30日閲覧。 
  9. ^ 図典 日本の市町村章 p36。
  10. ^ 【共同通信】2015年2月14日付「生活保護受給者に不適切対応 宮城・塩釜」
  11. ^ 塩竈市/くらしのガイド/「塩竈」は、どんなまち?
  12. ^ ようこそ、癒しの島へ。浦戸諸島 塩竈市営汽船”. 塩竈市. 2018年1月8日閲覧。
  13. ^ 日経エンタテインメント! アニメSpecial 声優バイブル2016』日経BP、2015年、55頁。ISBN 978-4-8222-7251-7 
  14. ^ 山 寺 宏 一 × 佐 藤 昭”. 塩竈市. 2020年11月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 宮城縣史編纂委員会 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史) 宮城県、1987年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]