坪井仙次郎

坪井 仙次郎(つぼい せんじろう、1854年安政元年) - 1945年昭和20年))は、明治期の教育家。

経歴[編集]

紀伊新宮藩坪井玄益の次男。江戸生まれ。13歳で開成所に入り、17歳で新銭座の慶應義塾に入る。1870年(明治3年)更進生として大学南校に転じ園田孝吉田尻稲次郎津田純一らと同門となり、1873年(明治6年)慶應義塾大阪分校の教員として赴任する。京都府師範学校島根県師範学校和歌山県師範学校を経て岐阜師範学校校長となり、1905年(明治38年)、大阪府立岸和田中学校長となる。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。

参考文献[編集]

公職
先代
中原貞七
大阪府立岸和田中学校
1905年 - 1914年
次代
三浦菊太郎
先代
(新設)
大阪府立市岡中学校
1901年 - 1905年
大阪府市岡中学校長
1901年
大阪府第七中学校長
1901年
次代
石川弥太郎
先代
(新設)
大阪府第三中学校
1899年 - 1901年
大阪府第三尋常中学校長
1895年 - 1899年
次代
小出寿之太
先代
田中敬一
岐阜県尋常師範学校長
1892年 - 1894年
次代
多和田豊吉
その他の役職
先代
(新設→欠員)
京都教育会会長
1887年
次代
八代規