坂上峯雄 凡例坂上峯雄時代 平安時代初期 - 前期生誕 不明死没 不明別名 岑雄官位 従五位下・上野介主君 文徳天皇→清和天皇氏族 坂上氏父母 父:坂上広野兄弟 当道?、峯雄子 峯益テンプレートを表示 坂上 峯雄(さかのうえ の みねお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は岑雄とも記される。右兵衛督・坂上広野の子。官位は従五位下・上野介。 経歴[編集] 文徳朝末の斉衡4年(857年)従五位下に叙爵し、翌天安2年(858年)に侍従に任ぜられる。清和朝でも引き続き侍従を務めるが、貞観5年(863年)上野介として地方官に転じた。 官歴[編集] 『六国史』による。 時期不詳:正六位上 斉衡4年(857年) 正月7日:従五位下 天安2年(858年) 6月14日:侍従 貞観5年(863年) 2月10日:上野介 系譜[編集] 父:坂上広野[1] 母:不詳 妻:不詳 男子:坂上峯益[1] 脚注[編集] ^ a b 「坂上系図」『続群書類従』巻第185所収 参考文献[編集] 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年