国近友昭

国近 友昭 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 国近 友昭
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走マラソン
所属 NTT中国エスビー食品
生年月日 (1973-04-22) 1973年4月22日(50歳)
生誕地 山口県光市
身長 179㎝
体重 62㎏
自己ベスト
5000m 13分37秒78 (1998年)
10000m 28分05秒38 (2003年)
ハーフマラソン 1時間02分14秒 (2001年)
マラソン 2時間07分52秒 (2003年)
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国近 友昭(くにちか ともあき、1973年4月22日[1] - )は、陸上競技長距離走マラソン元選手、現指導者NTT西日本陸上競技部監督)。山口県光市出身。主な実績に2004年アテネオリンピック男子マラソン日本代表2003年福岡国際マラソン優勝など。

経歴[編集]

光市立浅江中学校から陸上を始め、当時の陸上部顧問であった山村進(現・聖光高等学校陸上部監督)の指導を受けて実力をつけ、山口県立光高等学校時代には田村好明教諭の指導を受けインターハイに出場した。卒業後の1992年NTT中国に入社。1996年広島市で開催された第1回全国都道府県対抗男子駅伝で優勝した広島県チームのアンカーを務める。長身でかつ俳優古尾谷雅人似の爽やかイケメンで、現役時代女性から高い人気を得ていた。

1997年日本陸上選手権の男子10000mで3位。翌1998年東京国際マラソンで初マラソン。

2000年にNTT西日本からエスビー食品に移籍[2]瀬古利彦監督の指導の下となる。2003年12月の福岡国際マラソンでは、マラソン日本記録保持者の高岡寿成らを下して、自己ベスト・日本歴代7位タイの記録となる2時間07分52秒のゴールタイムでマラソン初優勝を果たす。この成績が大きく評価され、翌2004年8月開催のアテネオリンピック男子マラソン日本代表に選ばれた。

しかし、アテネ五輪男子マラソン本番では、初の世界大会出場となるプレッシャーや調整の失敗もあってか、中盤で脱落してからはズルズルと後退。その後8位入賞争いにも全く加われず苦しいレースとなり、結局2時間21分13秒の42位と惨敗に終わる。ほかの日本男子代表は油谷繁が日本人トップで5位入賞、諏訪利成も6位入賞を果たし、さらに日本女子代表3人(野口みずき金メダル、土佐礼子5位、坂本直子7位)も全員入賞を果たしたため、アテネ五輪マラソン日本代表では国近だけが五輪入賞ならずという無念な結果となった。

2008年4月から城西大学の経営学部に学生として入学し、のち卒業。同大学在学中は、櫛部静二と共に駅伝部の指導にも加わっていた。2010年12月5日、福岡国際マラソンの完走を最後に、現役引退を発表した。

引退後はエスビー食品陸上部のコーチ業を務めていたが、2013年3月限りで同陸上部が廃部。同年4月、DeNAがヱスビー食品に所属した多数の選手・スタッフを受け入れる形で移籍。2016年4月、同ランニングクラブのコーチから監督へ就任した。

2021年4月1日、NTT西日本陸上競技部監督に就任[1]

自己ベスト[編集]

主な戦跡[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b NTT西日本グループ|シンボルチーム|陸上競技部|スタッフ紹介”. symbol.ntt-west.co.jp. NTT西日本グループ. 2024年2月17日閲覧。
  2. ^ (4)国近友昭(エスビー食品)自分に勝ち「最高の人破る」”. www.asahi.com. 朝日新聞社. 2024年2月17日閲覧。

外部リンク[編集]