| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "四条有資" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年1月) |
四条 有資(しじょう ありすけ)は、南北朝時代の公家。大納言・四条隆資の子。伊予国司・左中将などに任じられた。南朝に仕えた。
延元2年/建武4年(1337年)、伊予国司として任国に赴いた。以降「大将」(国大将のことか)として同国宇和荘に入ったり、忽那島に渡って合戦の指揮をする(「忽那一族軍忠次第」)など伊予南朝方の勢力拡大に努めた。
興国4年/康永2年11月8日(1343年)、忽那義範に伊予名越城の「後措」を命じた。