品川範増

 
品川範増
時代 江戸時代
生誕 正徳2年(1712年
死没 正徳3年6月19日1713年8月9日[1]
別名 小五郎[1]
戒名 涼融[1]
墓所 万昌院
幕府 江戸幕府高家
氏族 清和源氏足利氏今川氏庶流品川家
父母 父:品川伊氏
兄弟 女(横瀬貞国室)、今川範高今川範主範増
養子:信方
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品川 範増(しながわ のります)は、江戸時代高家旗本。1歳で家督を継承するが2歳で夭折したため、高家品川家は一時断絶した。

生涯[編集]

正徳2年(1712年)、品川伊氏の三男として生まれる[1]。『寛政重修諸家譜』に母は「某氏」とあり、側室の子である[1]

伊氏には長男範高、次男範主がいたが、宗家である今川家に養子として送り出しており[1]、品川家自体の継嗣はそれまでいない状態であった。

範増が生まれたこの年9月22日、伊氏は44歳で没した[1]。12月27日、わずか1歳の範増は家督相続が認められ、寄合に所属した[1]

翌正徳3年(1713年)4月1日、品川家の人々は範増の名で、伊氏の遺品である信国脇差を将軍家に献上している[1]。しかし、6月19日に範増も2歳で死去した[1]

当然嗣子はいなかったため、品川家は一旦断絶した[1]

その後[編集]

範増の死去から1か月後の正徳3年(1713年)7月9日、品川家は松平重治[注釈 1]の弟の信方(品川伊氏の弟で、範増の叔父にあたる)によって再興された[1]。ただし元の1千5百石ではなく、3百石とされた[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 品川氏から松平家に養子入りした。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 寛政重修諸家譜』巻第九十四。