和邇駅 (江若鉄道)

和邇駅
わに
WANI
真野 (3.4 km)
(2.5 km) 蓬莱
地図東はJR湖西線和邇駅
所在地 滋賀県滋賀郡志賀町大字高城
(現・大津市和邇高城[1]
北緯35度9分41.8秒 東経135度55分13.9秒 / 北緯35.161611度 東経135.920528度 / 35.161611; 135.920528座標: 北緯35度9分41.8秒 東経135度55分13.9秒 / 北緯35.161611度 東経135.920528度 / 35.161611; 135.920528
所属事業者 江若鉄道
所属路線 江若鉄道線
キロ程 18.9 km(浜大津起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1924年大正13年)4月1日
廃止年月日 1969年昭和44年)11月1日
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和邇駅(わにえき)は、かつて滋賀県滋賀郡志賀町大字高城(現在の大津市和邇高城[1])にあった江若鉄道廃駅)。

歴史[編集]

和邇駅は1924年大正13年)、江若鉄道が堅田駅から和邇駅まで延伸開通したのに合わせて開業した[1]。2年後の1926年(大正15年)には和邇から先、近江木戸駅までの区間が開通する[2]。江若鉄道の当初の路線計画では、浜大津から福井県の三宅に至る本線[注釈 1]のほかに、当駅から分岐して途中越をトンネルで抜け、京都府の大原八瀬を経て二条駅に至る支線を敷設する計画が存在した[4]。この計画は改正鉄道敷設表別表第77号「滋賀県浜大津ヨリ高城ヲ経テ福井県三宅ニ至ル鉄道 及高城ヨリ分岐シテ京都府二条ニ至ル鉄道」の後段に相当する。しかしこの支線については資金や技術面での裏付けがあったわけでもなく、鉄道敷設の免許申請をするも本線の開業に注力すべきとして却下され、未成に終わっている[4][5]

江若鉄道は1969年(昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[6]、当駅も翌11月1日廃止された[7]

年表[編集]

駅構造[編集]

和邇駅線路配置図

真野
0 0 0 0 0 courbebg voie voie voie courbebd 0 0 0 0 0
0 0 0 0 Mbifd voie voie voie voie voie Dbifg 0 0 0 0
0 0 0 Mvoie 0 quai quai quai quai quai 0 Dvoie 0 0 0
voie bifbd bifhd voie voie voie voie voie voie voie voie voie Dbifg 0 0
0 0 courbehg voie voie voie voie voie voie voie voie bifbg voie bifhg voie
0 0 0 0 quai quai quai quai quai 0 Mvoie 0 0 0 0
0 0 0 0 quai quai butoirg voie voie courbehd 0 0 0 0 0
0 0 0 0 quai quai quai quai quai 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 BV 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

蓬莱
凡例
出典:[10]

和邇駅は列車交換が可能な交換駅[11][12]ホームは2面あり[12]、2本の線路の間にホームが1面配される島式ホームを有した[13]。旅客と貨物を扱うことができた一般駅であり[11]、駅には側線が引かれていた[13]

駅に設置されていた駅名標では、駅名が「和」と略字で表記されていた[14]

利用状況[編集]

開業から数年間の年間乗降客数・貨物取扱量の状況は以下の通り。

年間の旅客および貨物の取扱量
旅客 貨物 出典
乗車 降車 発送 到着
1924年 33,294人 26,228人 163トン 75トン [15]
1931年 46,662人 47,603人 784トン 1,187トン [16]
1934年 41,274人 42,276人 603トン 1,075トン [17]
1935年 42,461人 43,432人 539トン 1,092トン [18]
1936年 48,390人 49,554人 519トン 1,337トン [19]

駅周辺[編集]

琵琶湖の和邇浜水泳場が近い[1]。集落も多くあり、浜大津駅から当駅までの区間列車が設定されていたこともある[12][13]

駅があった場所は江若鉄道の廃線後に開業した湖西線和邇駅の西寄りにあたる[1]。跡地は長らく空き地のままであったが、平成期に入ってから住宅地に変わった[1][20]。その北側を流れる喜撰川には江若鉄道の鉄道橋(喜撰川橋梁)の跡があり、橋台が草に埋もれながらも残されている[20][21]

隣の駅[編集]

江若鉄道
江若鉄道線
真野駅 - 和邇駅 - 蓬萊駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 建設資金の枯渇により路線は今津までの開通に留まり、その先三宅方面への延伸はかなわなかった[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 江若鉄道の思い出, p. 54.
  2. ^ 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 394.
  3. ^ 江若鉄道の思い出, pp. 116–117.
  4. ^ a b 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 397.
  5. ^ a b 寺田 2010, p. 12.
  6. ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
  7. ^ a b c d 今尾 2008, pp. 31–32.
  8. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月8日(国立国会図書館デジタル化資料)
  9. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月15日(国立国会図書館デジタル化資料)
  10. ^ 竹内 1967.
  11. ^ a b 寺田 2010, p. 10.
  12. ^ a b c レイル, p. 82.
  13. ^ a b c 寺田 2010, p. 15.
  14. ^ レイル, p. 83.
  15. ^ 『滋賀県統計全書』大正13年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  16. ^ 『滋賀県統計全書』昭和6年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  17. ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  18. ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  19. ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  20. ^ a b 寺田 2010, p. 25.
  21. ^ 吉田 1998, p. 189.

参考文献[編集]

  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2 
  • 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2 
  • 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047 (再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519 
  • 田中真人、宇田正、西藤二郎「第16章 琵琶湖の首飾り―江若鉄道・湖西線」『京都滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社、1998年。ISBN 4-7638-0445-6 
  • 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2 
  • 吉田恭一『地形図で辿る廃線跡 古地図とともにいまはなき鉄道を歩く』心交社、1998年。ISBN 4-88302-345-1 
  • 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]