和田敏明

和田敏明

和田 敏明(わだ としあき、1905年明治38年)4月28日[1] - 没年不詳)は、日本政治家衆議院議員(1期)、日本社会党所属。徳島県出身[2]

経歴[編集]

1929年(昭和4年)、東京帝国大学政治科卒[2]東京日日新聞に入り、同社スラバヤ支局長[2]毎日新聞サイゴン支局長、調査研究部長を経て[2]、北海道日日新聞社取締役主筆となる[2]1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙北海道2区・日本社会党公認・20249票獲得)において初当選[3][4]1948年(昭和23年)12月23日衆議院解散馴れ合い解散)により議員失職。翌1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で(北海道2区・日本社会党公認・13034票獲得)落選[4]1950年(昭和25年)10月、日本社会党から除名された[5]。以後、足立梅市らと共に社会党再建全国連絡会結成に参加。1952年(昭和27年)第25回衆議院議員総選挙東京7区・社会党再建全国連絡会公認・13683票獲得)で落選[6]1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙(東京7区・社会党再建全国連絡会公認・12410票獲得)でも落選[6]

その後、1965年(昭和40年)、日ソ交流協会の設立に関与した。株式会社日ソ旅行社(現・ロシア旅行社)の設立を提案した[7]1987年(昭和62年)、同社社長に就任した[7]

人物[編集]

安楽死の批判について、和田は批判者に対し「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」として安楽死を肯定していた。

チャールズ・マンゲル著作の(死を選ぶ権利―脳神経外科医の安楽死の記録)の翻訳に関わっている。

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 昭和28年版』424頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』718頁。
  3. ^ 和田敏明 衆議院議員 国会議員白書
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』444頁。
  5. ^ 読売新聞 1950年10月12日 社党・和田敏明氏を除名
  6. ^ a b 『朝日選挙大観』484頁。
  7. ^ a b (株)ロシア旅行社 会社案内※2020年4月18日閲覧

参考文献[編集]

  • 読売新聞社編『読売年鑑 昭和28年版』読売新聞社、1952年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。