吉村豊文

吉村 豊文(よしむら とよふみ、1905年8月19日 - 1990年11月25日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学鉱床学奈良県生まれ。

経歴[編集]

旧制第一高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部鉱物学科へ入学し、1928年3月に卒業。同年5月東京帝国大学助手となる。1933年1月北海道帝国大学助教授として赴任。1939年9月以降は、鉱産局・地質調査所・鉄鉱局に勤務。1942年3月九州帝国大学教授となり、1969年3月に定年退職。その間1962~1964年理学部長を務める。1962~1964年日本鉱物学会会長。1975年勲二等旭日重光章。「加蘇鉱山マンガン鉱床の鉱物学的研究」により、1939年東京帝国大学より理学博士の学位を取得。

業績[編集]

生涯にわたって一貫して日本におけるマンガン鉱床の成因と、産出する鉱物の研究に力を注いだ。特に初期の頃、栃木県加蘇鉱山のマンガン鉱床を精査し、種々の新産鉱物を記載したことは、日本におけるマンガン鉱床の記載的研究の嚆矢とされる。この研究により、日本地質学会から日本地質学会賞を受賞。九州大学に移ってから、研究対象は全国のマンガン鉱床に及び、膨大な記載データを纏めて出版した。またこのほかに、1934年に北海道轟鉱山から轟石(Todorokite)、1936年に北海道手稲鉱山から手稲石(Teineite)という2種の新鉱物を発見している。この研究に対し日本鉱物学会から櫻井賞が贈られた。

1961年に岩手県野田玉川鉱山で発見された新鉱物、吉村石 (Yoshimuraite・(Ba,Sr)2Mn2TiO(Si2O7)(P,S,Si)O4(OH)) は、吉村の業績を顕彰するために命名されたものである[1]

主な著書[編集]

  • 吉村豊文・望月勝海『鉱物学入門』、1949年、古今書院。
  • 吉村豊文『日本のマンガン鉱床補遺、前編:マンガン鉱床総説』、1967年、吉村豊文教授記念事業会。
  • 吉村豊文『日本のマンガン鉱床補遺、後編:日本のマンガン鉱床』、1969年、吉村豊文教授記念事業会。

参考文献[編集]

  • 広渡文利「追悼 吉村豊文名誉会員を悼む」、『鉱物学雑誌』、19巻、1990年、327~329頁。

脚注[編集]

  1. ^ Watanabe, T., Takeuchi, Y. and Ito, J. (1961) The minerals of the Noda-Tamagawa mine, Iwate Prefecture, Japan. III. Yoshimuraite, a new barium-titanium-manganese silicate mineral. Mineral. Jour., 3, 156-167.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]