古代出雲
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古代出雲(こだいいずも)は、弥生時代、古墳時代の出雲の国(現在の島根県東部および鳥取県西部)にある出雲平野、安来平野を中心にあった文化をさす。出雲は歴史的仮名遣いでは「いづも」である。
概要[編集]
姫原西遺跡や西谷墳墓群、荒島古墳群がある出雲平野、安来平野、意宇平野には、強大な国があったと推定できる。また、四隅突出型墳丘墓に代表される独自の文化を生み出した。
出雲西部の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土した大量の銅鐸や銅剣がこの地域の盛大さを物語る。豊富な神話、各地からの大量の出土品、古墳の種類の豊富さから、この地域に古くから栄えた大きな勢力があったことは確実であるとされている。その謎を解明するかに見られた「荒神谷遺跡」や「加茂岩倉遺跡」からのこの大量の青銅品埋蔵の解釈にはまだ定説がない。
青銅器の原材料にしても、朝鮮半島産であるとするもの、島根半島の西部の銅山の産出であるとするものなど、いずれにしても特定はできておらず、地元の出雲地方ですら統一した見解が出されていない。
鉄器については、山間部で時代の特定できない「野だたら」の遺跡が数多く見つかっている。特に遺跡が多いのは県境付近であり、たたら製鉄に欠かせない大量の木炭の確保は欠かせなかったものと考えられる。西部地方は後に衰えを見せるが、出雲東部では妻木晩田遺跡や竹ヶ崎遺跡・柳遺跡では大量の鉄器の半製品が発掘されていることから、鉄資源の輸入・鍛冶精錬を司ることで発展し、弥生後期には広く日本海側に展開をしたと考えられている。
古墳時代前期では、全国最大級の方墳である大成古墳・造山一号古墳にその繁栄の後がうかがえる。
各地域との交流[編集]
弥生後期(2世紀前半)の田和山遺跡(島根県松江市)出土の石板が朝鮮半島の北部のすずりと判明している。[1]
北陸や関東などに、四隅突出墳墓や出雲神話への影響が認められる。古事記上巻の3分の1の記述は出雲のものであり、全国にある多くの神社に出雲系の神が祭られている。大和政権が日本を統一した後も豊富な神話を伝えるなど、一大古代勢力であったことが伺える。
方言との関連[編集]
出雲地域をはじめ北陸地方、東北地方に分布する「ズーズー弁」(裏日本方言)と古代出雲の関連性はしばしば指摘される。「ズーズー弁」が飛び地状に分布する理由として、古代出雲の住民が東北地方に移住したとする説や、かつて日本海側で広く話されていた基層言語の特徴だとする説もある[1]。
さらに古代出雲弁は、ツングース諸語から発生した言語とする説もある[2]。
参考[編集]
- 吉岡節夫(2014) 『甦る「古代の王朝」 出雲国風土記が語る神話の真実』 BRLM高速学習アカデミー
- 古田武彦(2014) 『古田武彦・古代史コレクション 22 古代の霧の中から 出雲王朝から九州王朝へ』 ミネルヴァ書店
- 森田久喜男(2014) 『古代王権と出雲』 同成社