南梅吉

南 梅吉(みなみ うめきち、1877年(明治10年)5月10日 - 1947年(昭和22年)10月24日)は、日本社会運動家。全国水平社初代委員長、日本水平社初代会長。

来歴[編集]

滋賀県蒲生郡桐原村(現近江八幡市)の農家に生まれた[1][2]。明治27年(1894年)、京都市上京区鷹野北町に移り化粧品製造に従事。明治35年(1902年)から部落改善運動(融和運動)に携わり、青年団を結成[1]。青年団長や村議会議員を務めた。

大正11年(1922年)、全国水平社(全水)の初代委員長となり、京都の自宅に総本部が置かれた[3]

大正13年(1924年)12月 警視庁のスパイとの親交を理由に勇退勧告処分を受け、委員長を辞任[4][5]。大正15年(1926年)の第5回大会で決議された新方針に反対し、全水を脱退。昭和2年(1927年1月5日、京都で日本水平社を結成した。

部落改善のため政治が重要と考え、昭和4年(1929年日本自由党、昭和5年(1930年)立憲解放党、同年、日本統一党を結成[6]日本中国大陸進出が本格化する中、昭和9年(1934年)国際水平運動を提唱した[7]

部落解放全国委員会結成3か月前の昭和20年(1945年)12月、京都で人種解放同盟を創立した[7]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 朝治2010、p.55
  2. ^ 「同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷」鳥取ループ(取材・文)、『月刊同和と在日』2011年7月号
  3. ^ ツラッティ千本について、京都市情報館
  4. ^ 朝治2010、p.49
  5. ^ 「南梅吉【みなみうめきち】」デジタル版日本人名大辞典+Plus
  6. ^ 朝治2010、p.50
  7. ^ a b 朝治2010、p.51