南方熊楠顕彰館

南方熊楠顕彰館
Minakata Kumagusu Archives

南方熊楠顕彰館と南方熊楠邸
地図
施設情報
事業主体 田辺市[1]
開館 2006年5月14日
所在地 646-0035
和歌山県田辺市中屋敷町36
位置 北緯33度43分51.9秒 東経135度22分39.9秒 / 北緯33.731083度 東経135.377750度 / 33.731083; 135.377750座標: 北緯33度43分51.9秒 東経135度22分39.9秒 / 北緯33.731083度 東経135.377750度 / 33.731083; 135.377750
プロジェクト:GLAM
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南方熊楠顕彰館の位置(日本内)
南方熊楠顕彰館
南方熊楠顕彰館
南方熊楠顕彰館

南方熊楠顕彰館(みなかたくまぐすけんしょうかん、Minakata Kumagusu Archives)は、和歌山県田辺市中屋敷町にある博物館類似施設

南方熊楠の死後、遺族により邸宅・書物・文献・書簡・標本等は保全されていた。2000年最後に残った長女・文枝が亡くなるが、その遺志によって、それらは田辺市に寄贈された。田辺市は、傷みが激しかった南方邸を補修し、熊楠存命時の状態に復原するとともに、熊楠の生涯や文献を紹介・保存する顕彰館が南方邸の北隣に開館した。

概説[編集]

南方熊楠(1867-1941)が生涯を費やして蓄積した人文・自然科学の多岐にわたる膨大な研究資料のほとんどは、熊楠が後半生を過ごし、研究活動の拠点とした田辺市の邸内、特に土蔵内に遺されていた。これらは、熊楠の没後、遺族が中心となって大切に保存され、ほぼ散逸することなく受け継がれてきた。 この南方熊楠翁の業績を顕彰し、あわせてその終の栖(ついのすみか)となった邸を保存することを目的として、1987年6月に「南方熊楠邸保存顕彰会(現南方熊楠顕彰会)」(以下、顕彰会)が発足した。この顕彰会は、1989(平成元)年から全国に向けて募金活動を展開し、その結果として各方面から多額の寄付が集まった。田辺市および顕彰会は、これらの浄財とふるさと創生資金による基金を積み立て、その利息を財源として邸内の資料の調査研究や整理保存、南方熊楠賞の制定、南方を訪ねての開催、南方邸の公開等、翁の業績を顕彰する事業を実施してきた。 2000年6月、最後に残った長女・文枝が死去し、南方邸ならびに邸内の蔵書・遺品・草稿・標本などの資料は田辺市に遺贈された。これを契機として、将来にわたってこの先人の遺産を恒久的に保存し、その思想および学問活動に関する調査・研究を充実させるとともに、その成果を発信するための拠点を設置することが急務となり、南方熊楠研究所(仮称。現南方熊楠顕彰館)建設に向けて動き出した。 2006年、南方熊楠顕彰館が開館し、熊楠が遺した蔵書・資料を恒久的に保存するとともに広く公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信している。

沿革[編集]

  • 1941年12月29日 - 南方熊楠死去
  • 2000年6月10日 - 熊楠の長女・文枝死去。遺志によって熊楠旧邸や資料が田辺市に寄贈される
  • 2002年 - 顕彰会が南方熊楠研究所(仮称)基本構想策定。南方熊楠研究所(仮称)建設委員会設置
  • 2003年 - 南方熊楠研究所(仮称)基本計画案策定
  • 2003年5月 - 南方熊楠研究所(仮称)設計提案競技
  • 2004年8月 - 「南方熊楠顕彰館」に名称決定
  • 2004年10月 - 起工式
  • 2005年7月 - 竣工
  • 2005年11月 - 南方熊楠邸整備工事着工
  • 2006年3月 - 南方熊楠邸整備工事完了
  • 2006年5月14日 - 開館
  • 2015年3月26日 - 南方熊楠邸の建物4棟が登録有形文化財となる。登録名は旧南方家住宅(主屋、書斎、土蔵、井戸屋形)。

脚注[編集]

  1. ^ 南方熊楠顕彰館条例

関連項目[編集]

外部リンク[編集]