千葉直胤

 
千葉直胤
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 千葉胤村→直胤
別名 仮名:次郎
戒名 瑞林院殿岳室宗彎[1]
主君 北条氏政氏直
氏族 玉縄北条家→武蔵千葉氏
父母 父:北条氏繁、養父:千葉胤宗
兄弟 北条氏舜北条氏勝北条氏成直胤北条繁広上杉氏憲
正室:千葉胤宗の娘
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千葉 直胤(ちば なおたね)は、武蔵千葉氏第7代当主。武蔵石浜城を本拠とした。北条氏繁の四男である。

仮名(通称)は次郎で、これは武蔵千葉氏歴代当主が用いたものである。「直」は氏直からの偏諱とされる[2]

生涯[編集]

天正2年(1574年)10月の下総関宿城攻めで、武蔵千葉氏当主の千葉胤宗が戦死し、胤宗に嫡子がなかったため直胤が婿養子となり、家督を相続した[3]

直胤が署名した発給文書が2点残されているが、その他の詳しい動向はよくわかっていない。

系図類では、仮名を善九郎、実名を氏常と記しているが、他の史料によって確認できない。とくに前者については、明確に誤りとされている[4]

出典[編集]

  1. ^ 『北条家過去帳』
  2. ^ 北条早雲とその一族 2007, pp. 139–140.
  3. ^ 『異本小田原記』
  4. ^ 北条早雲とその一族 2007, pp. 140.

参考文献[編集]

  • 『戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡』新人物往来社、2005年、ISBN 4404033168
  • 黒田基樹『北条早雲とその一族』新人物往来社、2007年7月。ISBN 978-4-404-03458-8