北条種時 北条 種時(ほうじょう たねとき) 金沢流北条氏: 鎮西探題・北条政顕の子(長男か)。正和5年(1316年)、父が探題を辞任したのを受けて、探題職を代行した[1]。鎮西探題滅亡時に北条英時らと自害[2]。 赤橋流北条氏: 北条久時の子。官位は従五位下修理亮。鎌倉幕府第16代執権・北条守時の弟で、鎮西探題・北条英時の兄にあたる。北条政顕の猶子になったとの説もあり、この場合上記と同一人物となる。 脚注[編集] ^ 川添昭二の『九州の中世世界』によれば鎮西探題になったともいう。 ^ 『歴代鎮西要略』および 永井晋『金沢貞顕』〈人物叢書〉(吉川弘文館、2003年)、p.152。 表話編歴鎮西探題 鎌倉幕府 1 北条兼時 1293-1295 2 名越時家 1293-1295 3 金沢実政 1296-1301 4 金沢政顕 1301-1315 5 北条種時 1315-1316 6 阿曽随時 1317-1321 7 赤橋英時 1321-1333 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。