前田孝敬

前田 孝敬(まえだ たかのり、弘化4年11月14日1847年12月21日) - 明治21年(1888年1月5日)は、加賀藩重臣。加賀八家前田対馬守家第13代当主[1]

父は加賀家老前田孝備。正室は奥村栄通の娘。子は前田孝。幼名健之助。通称與十郎、弾番。家紋は「角ノ内梅鉢」。

生涯[編集]

弘化4年(1847年)11月14日、加賀藩家老前田外記孝備の嫡男として生まれる。安政4年(1857年)、本家当主前田孝中の死去により、その末期養子として、家督知行1万8000石を相続する。慶応4年(1868年)、北越戦争の際、加賀藩の陣地に梅田弾次郎と変名を使って兵の督励に現れたが、陣地に長岡藩側からの銃撃があると慌てて逃げ去った。明治維新後、名をと改める。

明治21年(1888年)1月5日死去。享年42。家督は嫡男孝が相続し、明治33年(1900年)父孝敬の明治維新への功績により男爵に叙され華族となった。

脚注[編集]

  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号

参考文献[編集]

  • 「加能郷土辞彙」