前田利好

 
前田利好
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄8年5月8日1565年6月6日
死没 慶長15年2月1日1610年2月24日
別名 通称:播磨
墓所 石川県七尾市長齢寺
主君 前田利家利長
加賀藩
氏族 前田氏
父母 父:前田安勝
兄弟 利好青木信照室、前田利益
継承者:知好(前田利家三男)
前田兵部[1]
テンプレートを表示

前田 利好(まえだ としよし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将前田家加賀藩)の家臣。

生涯[編集]

永禄8年(1565年)、前田家の家臣・前田安勝の子として誕生する。父・安勝は主君・前田利家の兄にあたり、その親任は厚く七尾城代となり、支城・小丸山城に在城して能登国を支配した。天正12年(1584年)の越中国佐々成政の能登侵攻の時、佐々軍の拠る鹿島郡荒山城を安勝、利好父子で攻略して末森城の戦いでの勝利に貢献している。文禄3年(1594年)5月、父・安勝が死去すると跡を継ぎ、小丸山城主および七尾城代となる。

慶長15年(1610年)、死去。名跡と役職は前田利家の三男・知好が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 池田治部左衛門。青木信照の子。加賀藩8百石