利用者:Toshi999

概要[編集]

このページは本人が編集練習する目的で主に扱われます。

初心者へのアドバイス[編集]

ウィキペディアの編集者は、2種類のタイプに分かれます。それは、ウィキペディアの編集に慣れつつ、トラブルや議論が起こった時にヘルプページを見てルールを覚える人と、最初にヘルプページを見て大まかなルールを把握する人です。私は断然、後者のスタイルをお勧めします。

最初にヘルプページを見て大まかなルールを覚える人[編集]

ウィキペディアの方針やガイドラインは見通しの良い索引も無い事から、索引から飛んだヘルプページから、索引に出ていなかったヘルプページへのリンクが見つかるなど、ややこしいですし、しかも量も膨大です。ですので大変な作業になるとは思いますが、まずは何も考えずに全体を眺めるつもりで一通り読んで見て下さい。そして少しの期間を置いて、また全体を読んで見て下さい。詳しい内容や言葉まで覚える必用は有りません。ただ、どんな事がどの辺に書かれているかが有る程度分かる程度までは繰り返し読んで下さい。 そうすると分かる通り、ウィキペディアの方針やガイドラインなどのルールは、とても柔軟性に富んでいて、また三原則や5本の柱と呼ばれる事柄を抜かせば、絶対的な物では無い事が分かると思います。 大切なのは、三原則や5本の柱が求める事は何なのか、他のルールは三原則に対してどの様な補助を与えるルールで有るのかなどを理解する事です。 原則的にウィキペディアは「ルール至上主義」では無く「合意至上主義」なのです。 しかしながら、何か議論が発生し中々合意に向かって話が収束しない時にはガイドラインは合意に向けての指針となるでしょうし、方針ならば更に強力な指針になる事を忘れてはいけません。 また、議論をする上で、マナーや議論方法などを含め、予め方針やガイドラインを念頭に入れて置く必用も有るでしょう。つまり、ルールを一切無視した無法地帯化は避けなければならないと言う事です。

トラブルや議論が起こった時にルールを覚える人[編集]

経験的に言って、このタイプの人はルールを覚えれば覚えるほどトラブルメーカーになります。ウィキペディアの方針やガイドラインなどのルールは三原則と呼ばれる事柄や5本の柱と呼ばれる事柄を抜かせば、絶対的なルールでは有りません。しかし、トラブルや議論になった時に、上級者から嗜められつつ教えて貰ったルールや、又は自分の主張を押し通す為にヘルプで調べたルールは、「絶対的な物」として記憶される事が多く、一度「それが唯一正しい」と信じ込んでしまうと、もはや他の方針やガイドラインで全く逆の事を肯定する事が書かれていても、もはや頭に入らなくなり(下手すれば自分に都合の良い様に勝手に解釈したりもする)、自分が正しいと信じるルールを「これがウィキペディアの絶対的法律である」と言わんばかりに議論で振りかざします。 しかも、ルールを覚えれば覚えるほど、他人の反論に対して「自分が唯一正しいと信じるルールの文言」の引き出しが増える分、ルール尽くめで相手を論破してしまう為、他人の言葉に耳を貸す事が出来なくなり合意に至るのが困難な状況に陥ります。 また厄介な事に、ルールには「ルールを悪用してはダメだよ」と書かれているにも関わらず、本人はそれを悪用している自覚は無く絶対に正しいと信じ込んでしまっている為、ルールの悪用を指摘すると「侮辱された」と感じてしまったり、「自分は正しい事を言ってるだけなのに、こいつは喧嘩売ってるのか?」と感情的になってしまい、益々泥沼にはまったりもします。 よって、特定のルールを頑なに持ち出して譲らない議論姿勢を持つ人は、大抵の場合はこのタイプの人間です。 三原則や5本の柱を除く全ての方針やガイドラインは、「合意に至る為の潤滑剤」でしか有りません。 それが方針の場合は、かなり強力な「合意に至る為の指針」となるでしょう。しかし、絶対それに従わなければならないと言う事では有りませんし、大抵の場合はそのルールを否定する別のルールが有る事も珍しく有りません。また、記事を良い方向に発展させる為には個別の事情毎に方針やガイドラインなどは無視しても良いのです。大切なのは三原則や5本の柱の理念に沿って「合意」を目指す事です。(そうすれば必然的に、最終的には方針やガイドラインにかなり沿った記事に収束するはずです。)

編集方針[編集]

 三原則である「中立性」「検証可能性」「独自研究を載せない」を第一に、その他全てのルールはこの三原則を補助する物と捉え、この三原則が蔑ろにされる様なルールの運用に付いては大いに WP:BURO を主張して議論に挑みます。  また、三原則の中で「検証可能性」と「独自研究」に関しては、記事の成長度の兼ね合いが有ると思われ、強いて言えば以下の様なフェーズに分かれると考えています。

  • フェーズ1:とりあえず出典を気にせず新規にページを作成
  • フェーズ2:書かれた文章に出典を当てはめ、見つからない物は要出典のタグを貼るなどブラッシュアップ
  • フェーズ3:出典の無い記述を(ノートで確認を取りながら)削ってダイエット
  • フェーズ4:出典の信憑性や品質をノートで精査し更にブラッシュアップ

 よって、三原則の中でも特に、初期フェーズでも十分に配慮が可能な「中立性」を最大限に重視します。また、「中立点がどこに有るのか」も気に掛けて参加し、もし中立点が多岐に分散される懸念が有る場合(そう言う場合はほぼトピック毎に中立点の整合性が崩れます)は、適宜ページ分割や、若しくは既に適切な関連ページが存在する場合には、そちらへのトピック移動を促します。

 また、初心者が気軽に編集出来る様に中級者や上級者がサポートする事を大切にしつつ、投票権が与えられる様な編集回数が50回以上有るWikipedianに対しては、以下の事柄を推進したいと考えています。

  • 雑草取りなどの本文最適化や出典を伴った文章追加は推奨(但し中立性には配慮する前提で)
  • それ以外の、本文の大幅な修正や削除などに関しては、必ずノートにて提案の上、合意形成期間を経て修正する様に促す。

 Wikipedia に存在する数多くのいざこざは、これを推進する事により激減すると考えています。

方針やガイドラインの解釈[編集]

基本的にWikipediaの方針やガイドラインには整合性の取れていない記述が散見されます。その様な中で以下の事柄は私なりの解釈を持ちます。(ご意見歓迎、会話ページにて)

Wikipedia:独自研究を載せない 及び Wikipedia:検証可能性[編集]

原則としてWikipediaでは二次資料のみを使う事が定められていますが、WP:PSTS を良く読むと、評価や分析、解説などの「意見」を加えず、常識的な事実記述をする為に一次資料を用いる分は問題ないとされています。また、フィクションなどジャンルによっては一次資料と二次資料をバランス良く使う事が推奨されてますので、何がなんでも二次資料じゃなきゃいかん!と言う考えは持っていません。

Wikipedia:信頼できる情報源[編集]

ここで説明されている事柄に関しては、殆どが科学や文学など学術的な記事を書く際に当てはめる為に書かれていると解釈しています。よって、芸能や時事、エンターテイメント系などでは堅苦しく考える必要性を感じていません。むろん、常識的に考えて個人のブログを出典に用いるなどは論外ですが、一般的に二次資料として認められる出典で有るならば、その出典の出所よりも、「情報源の評価」が大切になると考えます。つまり例えば、とあるタブロイド誌の記事が有ったとし、しかし一次資料が容易に検証出来る事柄であるか、または事実が周知の事実で有るなど、その二次資料が誰の目から見ても一次資料に付いて事実記述だけしかしていない・・と言った場合、その二次資料は「信頼出来る」と考えます。 (それは、学術関連のページに於いて、なぜ大手メディアや大学の研究機関など一定の評価を得ている出所の二次資料利用を推薦しているのかと言う意図を考えれば、情報の品質を求める事が目的だと分かるからです。「Wikipediaは真実を書く場所では無く、二次資料による事実を書く場所だ」と言うセリフを良く目にする訳ですが、これは二次資料がより真実に近い物で有る事を求めていない訳では無いと考えます。よって、たとえタブロイドの記事でも、一次資料をそのまま客観事実記述した様な記事の場合では十分に高品質な出典になると捉えています。) 特に大衆文化やフィクションに関する記事ではWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションを尊重します。

Wikipedia:中立的な観点[編集]

そんなに多くは有りませんが、かと言って少なく無い頻度で中立性が保たれていないページを目にします。一番多いのは、Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな違反や、Wikipedia:大言壮語をしない違反、Wikipedia:言葉を濁さない違反、Wikipedia:避けたい言葉違反などによる非中立的な記述です。 これらに対してはなるべく積極的にノートにて指摘、提案、改正を促したいと思います。 また、これは強く主張するのは酷かなとは思いつつ、なるべくWikipedia:中立的な観点#ひとつの帰結:敵のために書くも促したいと思います。

Wikipedia:日本中心にならないように[編集]

一方、いわゆるWP:JPOVですが、これに関しては神経質に考えていません。一つは方針では無く、ガイドラインでしかも草案であると言う点。そして何よりも三原則や5本の柱の補助ルールで有るべき「意図」を無視し、何がなんでもJPOV違反はダメだと考える人が多い様に思えるからです。 WP:JPOVは、本来、中立的観点を維持する為の補助ルールと捉えるべきで、例えば領土問題の様に国家間で中立点が存在する場合などに、日本の立場中心の記述にならない様にする。つまりもっと具体的に言ってしまえば、竹島問題の様なトピックでは、日本の主張と韓国の主張、そしてその他の国の認識などを満遍なく網羅するのが中立で有り、この様な時こそ、WP:JPOVは強く意識されるべきです。 (早い話、どの国の人が読んでも不快に思わないページで有るべきと言う意味です。) 一方、中立点が日本国内の問題であるページなどでは、逆にWP:JPOVは邪魔です。その様なページでは只でさえノートなどで紛糾しやすい性格を持ちますが、そこにWP:JPOVを持ち込むと中立点を損ねる恣意的な記述をしやすくなる為です。 また、トピックが国際的な問題で有る場合は、その事柄がどの国での話なのかが分かる様に、「アメリカでは」とか「日本では」とか「世界では」などの前置きが必須ですが、トピックが明らかに国内問題を扱っている、又はそれが相応しいページでは、いちいち「日本では」などの前置きを付けるのは文章が冗長でしつこくなってしまいます。 よって、WP:JPOVは、中立点次第で重視するか軽視するかの態度を決めて議論に挑みます。

脚注[編集]