利用者‐会話:Rubicon1215
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[編集]阿久津善治の立項をいただきました。内容について気になる点がございますので確認させてください。初版には「人生の多くを病床で過ごす傍ら、自然主義歌人として身近な自然と人生の厳しさと温かさを透明な視点の中に収めつつ、高く深い立場から人間と自己を見つめ続けた」「生涯を通して病気との戦いに明け暮れた壮絶な人生であったが、歌人としての誇りを高く掲げて前田夕暮の門人としての道を一筋に歩み続けた」といった文章が見られますが、これは出典を元にあなたがご自分で考えて書かれた表現でしょうか。と申しますのも、「著作権のある創作的表現」を適切な引用の形式ではなく、そのまま丸写しすることは、著作権の侵害となります。出典の表現をそのまま用いたものでないかどうか、教えてください(そのまま用いた場合には、その表現が記載された版を不可視化する対応が必要になります)。Wikipedia:原典のコピーはしないやWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針といったガイドラインがございますので、ご一読願います。--Unamu(会話) 2025年5月17日 (土) 09:52 (UTC)
- 『UNAMU
- 阿久津善治の立項をいただきました。内容について気になる点がございますので確認させてください。初版には「人生の多くを病床で過ごす傍ら、自然主義歌人として身近な自然と人生の厳しさと温かさを透明な視点の中に収めつつ、高く深い立場から人間と自己を見つめ続けた」「生涯を通して病気との戦いに明け暮れた壮絶な人生であったが、歌人としての誇りを高く掲げて前田夕暮の門人としての道を一筋に歩み続けた」といった文章が見られますが、これは出典を元にあなたがご自分で考えて書かれた表現でしょうか。と申しますのも、「著作権のある創作的表現」を適切な引用の形式ではなく、そのまま丸写しすることは、著作権の侵害となります。出典の表現をそのまま用いたものでないかどうか、教えてください(そのまま用いた場合には、その表現が記載された版を不可視化する対応が必要になります)。Wikipedia:原典のコピーはしないやWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針といったガイドラインがございますので、ご一読願います。--Unamu(会話) 2025年5月17日 (土) 09:52 (UTC)返信』
- UNAMU 様
- 的確なご指摘誠にありがとうございます。私は短歌については全くの素人であり、阿久津氏の短歌を評価する立場にはありませんしその能力がありません。そこで、阿久津氏という人物と短歌を評価できる人物を探したところ、病院で阿久津氏とともに入院していた三本木国喜氏という人物に行き当たりました。脚注5にある人物で、脚注4にある「阿久津短歌考究」の著作者です。三本木国喜氏は阿久津氏の愛弟子ともいうべき人で、終生阿久津氏のために尽くされたようです。
- 「冬木の桜」阿久津善治遺稿集 九藝出版 1976年8月 177p 三本木国喜 『果てあるべからず』
- A、―この表現の透明さはー 175p
- B、―その深く、高く、果てあるべからざるー 177p
- 上記の遺稿集の該当ページにある、「透明」「深く、高く」が、阿久津氏の短歌の特徴と教えられました。それ以外の文章は全体の流れから私が構成したものです。
- 実は、私が勝手に作文したことにより、阿久津氏の神髄を離れて壊し、私の創作になってしまうのではないかと逆に心配しておりました。
- 以上のことから、ご懸念の丸写しではないことをご理解いただければ幸いです。
- 今後ともよろしくお願いいたします。--Rubicon1215(会話) 2025年5月17日 (土) 10:55 (UTC)
返信 ご丁寧にありがとうございます。ご自分で考えて書かれた文章であることを理解いたしました。--Unamu(会話) 2025年5月17日 (土) 12:21 (UTC)